仙巌園レポート〜広すぎ&美しすぎる庭園と勉強家の島津藩主たち〜

どうも、白戸です。
前半(ゆるーい食い物レポート)の続き、本編です。
前半→鹿児島観光名所 ☆4.9の高評価「仙巌園」に両棒餅(ぢゃんぼもち)目当てで行った結果
実際に歩いた道順に沿って、レポートさせていただきます。
仙巌園とは? 島津藩主の別荘。
まず、別荘ってこういうスケールなの? と驚いたんですが、、、なんと敷地内に登山できるレベルの山があります。もちろん、山装備は不要ですが、頂上の集仙舎まで徒歩30分くらい。往復1時間です。
冬でしたが、結構良い汗かきました。
登山道を含め、敷地をぐるっと一周するのに2時間かかりました。一回りするのに2時間もかかる施設を「別荘」と呼んで良いのでしょうか。別荘とはなんなのでしょうか。
登山道
あまりに広大な敷地内をほとんど迷子状態でさまよっていると、突如わたしの目の前に登山道が現れました。
桜島展望スポットでキャッキャやってる外国人観光客に対する私の猜疑心が生み出した幻覚かと思いましたが、ちゃんと案内板も出ていました。
550Mなら大した距離じゃないし、せっかくなので登ってみることに。あと、さっき両棒餅(ぢゃんぼもち)とか食べ過ぎたので帳尻合わせに。もう観光っていうか、ほとんど合宿のノリです。仙巌園までも自転車できてるし。
私が行ったのは土曜の昼頃でしたが、登山道には誰もいませんでした。最後まで誰にもすれ違わなかったし。誰もいないのをいいことに、ご機嫌な歌を口ずさみながら登ってやりました(●´ω`●)んふふ
大自然の中で歌を歌うってのは、なかなか普段できないし、貴重な体験になりました。
筆塚
島津斉興(なりおき)っていう27代目の薩摩藩主がめちゃくちゃ勉強家で、本を書きまくったために使い潰した筆が山のようになり、そのまま捨てんのもなんかもったいないから記念に塚を建てた、みたいな。
筆がダメになるほどものを書く勉強家の藩主って、私の中ではすごい斬新でして。
たまたま良い家に生まれたってだけなのに踏ん反り返ってわけわからん命令をしてくる、鼻に付く迷惑な管理職的イメージしかなかったので、へぇーそんなすごいちゃんとした人もいたんだ!と、島津家の人々にがぜん興味が湧きました。
観水舎と集仙舎
観水舎は、敷地内の滝を眺めるための展望スポット。読んで字のごとく観水舎なのです。自分家に滝があるとか、、いつまでも同じネタで驚いててすみませんが、当時の藩主って力があったんですね。今は総理大臣ですらこんな別荘持ってないんじゃないでしょうか。知らんけど。
あ、大企業の社長なら持ってそうですね。生まれとか関係なくみんなが夢を見れるんだから、いい時代に生まれたなぁとしみじみ思いました。
観水舎のさらに先、上の茶屋こと集仙台は、天気が良ければ薩摩半島の先端と大隈半島の先端(つまりカニのハサミみたいな形になってる鹿児島県の、ハサミの両先端)が一望出来るんだとか。
私が行った時は、あいにくちょっと煙ってて大隈半島の先端は見えなかったです。でも薩摩半島の先端の開聞岳はバッチリ見えました。桜島フェリーがゆっくり動いてるのもなんかグッときました。
きれいな庭園
もう完全迷子だったのでこれが仙巌園内のどの辺かは全くわからないのですが、離れみたいなとこがあって、そこも誰もいなかったので、縁側に座って20分くらいぼんやりしてました。疲れかな?
反射炉
反射炉ってのは、鉄を溶かすための炉(大きさ的には「塔」に近い)ですね。
火を焚いて熱を反射させるから、反射炉。これは、28代目藩主の島津斉彬(なりあきら)が作ったって説明書きがあり、妙に納得しました。
単に鉄を溶かすって話でも、鉄砲が種子島に伝わったのが1853年で、そっから当時の日本では蘭学と呼ばれ、西洋科学の最先端技術です。参考文献もほとんど手に入らないし、グーグル先生もいない中で、英語で書かれた技術書を読み解いて作ったんだそうで。1号機は失敗したけど2号機は成功したとか。
こんなもん二台も庭に作るなんて、凄すぎですね。私なんてご丁寧に義務教育で英語を習ったのに未だにウェンズデーのスペルに不安を感じてるのに。。ぁぁ情けない。
あと、この反射炉を見た時点で、私の中の斉彬が完全にエンジニアとして定着しました笑
絶対、モノ作り好きだったんだろうなぁと。
きっと平賀源外タイプですよ。でも藩主として見事に日本を導いた点も加味すると、ジョブズタイプか。
別荘の庭にこんなもん作るなんて、完全にマニアでしょ。もし現代に生きてたら、絶対自宅にサーバールームとか作るエンジニアですよ。最先端が好きで、モノ作りが好きで、勉強家で、意外とロマンチストな。
なんかまた長くなったので次で最終回にします!
それでは!