DEATH NOTEレベル!のすごい頭脳戦マンガ「アクマゲーム」が面白い件
どうも、白戸です。
先日、「100%休日」を開催しました。一人で(笑)
仕事も筋トレもランニングも、一切やらないと決めてスマホの電源を切り、ネットカフェで8時間がっつり漫画を読み、好きなものを好きなだけ飲み食いしました。
丸一日休んだのって久しぶりだったので翌日は元気もりもり。
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本当は “デッドマン・ワンダーランド” を全巻読破しに行ったのですが、店員さんによるまさかの「置いてないッスね〜ヘラヘラ」発言のため、、、
(店内のPCで検索できると思ってたのにできませんでした。約30分間、薄暗い店内を目視で探し続け、結局置いてなかった・・・っていうか、検索PCを客には触れないシステムって何なの?)
仕方なく、5円玉を使ったダウジングによって私の潜在意識が強く求めている作品を探しました。嘘です。タイトルと表紙のフィーリングで選びました。
そうして私が選びとったのが、「ACMA:GAME(アクマゲーム)」。
結果からいうと、すごいアタリでした。
DEATH NOTEっぽい!?頭脳戦マンガ「ACMA:GAME(アクマゲーム)」
ACMA:GAME、一体どんなマンガなのか?
その名の通り、アクマゲームが延々繰り広げられるマンガなのです。
アクマゲーム
「悪魔の鍵」の力で召喚される悪魔の審判によって執り行われる「悪魔のゲーム」。ゲームの種類はその都度変わり、ゲームを開始するまでどんなゲームが行われるかは鍵の所有者にもわからない。鍵が使用されると、所有者が部屋と認識する空間は外界と隔絶され、「閉鎖空間」が作られる。ゲーム終了までは、外部との人の往来や通信が禁じられる。ゲーム中にどちらかのプレイヤーが死亡した場合、ゲームを終了することができないため、空間は永久に封鎖される。プレイヤー・観覧者を問わず危害を加える行為やプレイヤー同士の接触は、原則的に禁止されている。
wikiより抜粋
悪魔がゲームを仕切るので、ルールに反するイカサマやトリック、妨害などは完全に封じられています。が、逆に言えばルール違反以外はなんでもアリなのです。
早い話、単純明解・シンプルなゲームを「天才 vs 天才」が命がけでやったらこうなる、的なやつ(笑)
これは完全に私の所感ですが、一言でいうと「DEATH NOTEっぽい頭脳戦マンガ」。
DEATH NOTEを知らない日本人はいらっしゃらないと思いますが、、、
DEATH NOTE(デスノート)とは、2003年12月-2006年5月までジャンプで連載された原作 – 大場つぐみ・作画 – 小畑健による日本の少年漫画作品。宝島社「このマンガがすごい!」オトコ版では、2006年と2007年に2位を獲得した。
Wikiより抜粋
(デスノートってもう10年以上経ってるのかぁ。いまだに陳腐化してないってすごいなぁ)
正直、芥川賞とかはちょっとわかんないのあったりするんですが、“このマンガがすごい!” と “本屋大賞” の受賞作品って私の中では「まずハズレなし」。なので、純粋に楽しむための小説や漫画を購入する際はよく参考にしています。そんな賞を2年連続で受賞しているんだから、まぁ、すごい漫画なのです。私などがあえて主張するまでもなく、すごい漫画なのです。
デスノートを読んで、キラのアリバイ作りやLの推理力に(ひいては原作者大場つぐみ先生の頭脳に)「すごい、、全然思いつかなかった」「なるほどぉ〜」と膝ポンした方の中にも、「あれ以来、我輩の舌を満足させるような良質な謎に出会っていないのだ」という方は多いのではないかと思います。
アクマゲームはまだ6巻までしか読んでないのですが、いまのところ、DEATH NOTEが長編小説ならACMA:GAMEは短編小説って感じでしょうか。DEATH NOTEからストーリー性を引いてゲーム性を足したみたいな。
私の場合、DEATH NOTEは最初のうちは読みながらトリックとか考えたりしてたんですが、ライトがノートを放棄して記憶を失ったらへんから、伏線とかデスノートのルールとか追うの正直ちょっとしんどくなってきまして。中盤以降はLが解説してくれるまで完全なる受け身読み、思考停止系読書術を実践してました。
ので、ACMA:GAMEは、最高にちょうどいい難易度。あと余計なラブコメとかも一切挟まないあたり、好感が持てます。とても良いです。
一回のゲームが、だいたい単行本半分くらいの長さなのでダラダラと中だるみもしません。
またマンガを読んで膝ポンしたいなら、「ACMA:GAME」がオススメです。
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ACMA:GAMEとDEATH NOTEの共通点
・絶対的な存在(悪魔、死神)が、人間同士の頭脳戦を仲介する設定
・謎解き、推理のクオリティが同じくらいハイレベル
・主人公がチートすぎる
・主人公がチートすぎて行動の動機に共感できない
・主要な登場人物が全員「天才」と「美女」
・絵がきれい
面白い頭脳戦マンガが少ない理由
DEATH NOTEと言えば、L vs キラの “頭脳戦” の漫画ですね。いわゆる、天才同士の頭脳対決。
頭脳戦マンガは、登場人物が互いの心理や行動を読んで行う「数手先の思考」を、読者がふきだしで読んで「おお〜そうきたか!」「すげー!思いつかなかった!」と感心・感動して楽しむマンガです。
推理マンガもそうですが、頭脳戦マンガ「わかりやすく」「読者の思考の上を行く」こと。
私は別に漫画家でも小説家でもなんでもありませんが、いち読者として思うのが、頭脳戦マンガ(推理小説やミステリも同様)って、書くのすげー難しいそうなだと。
スポーツ漫画なら、作者がオリンピック出場レベルの身体能力を持っていなくても、例えば主人公がオリンピックで一番になるシーンを描写すればいいじゃないですか。少女漫画も、作者がドジっ子清純美少女である必要は全くないわけで。
でも頭脳戦マンガは「天才の思考」を描写しなくちゃいけないので、当然作者も「天才だったらどう考えるか」がわかってないといけないじゃないですか。
、、、無理じゃね?
主人公が東大で首席卒業したことにするとか、天才的な頭脳で過去あらゆる事件を解決してきたことにするとか、設定で「天才感」をかもし出すだけなら、作者が天才である必要はありません。
実際、そういう「チート設定」ばかりが先行してしまい、いざ推理・論理を披露するシーンで、肝心の推理が読者の誰でも思いつくようなお粗末な論理展開な漫画って結構ありますよね。
逆に、読者を驚かせる結果にするためにご都合主義的な展開をして「無理やり感」が出てしまっていたり、「結局、作者もなんも思いつかなかったんじゃねーの?」と疑わざるをえない “うやむやな結末” とか。
「天才だったらどう考えるか」を考える
凡人の作者が天才を描く頭脳戦マンガと言っても、必ずしも作者に「登場人物の天才と同レベルの思考力・推理力」が必要というわけではないと思います。
例えば、「天才」と「普通」をわかりやすく書き分けたい場合、スピードで差をつけるテクニックがあります。すごいアイデアや考えを、作中では「天才が瞬時にひらめいた」ってことにしちゃうアレです。
よくあるのが、複雑な計算に即答する(数手先を見据えた行動)とか、よくわからん専門用語の意味をググらず説明するとか、もしくはすごく前のあらゆることを細部まで記憶しているとか。
複雑な計算やら用語解説なら作者は裏で電卓叩いたりググったりすれば良いだけですが、シンプルなゲームの中での心理戦や、「相手の裏をかく」アイデアとかって、作者(と編集者軍団)がひねり出すしかない。
大多数の「普通の」読者にも理解できるレベルで、かつ「普通」よりも数手先の論理展開の思考を描ければ、あとは設定とかストーリーとかで「天才」まで引き上げることは可能だと思いますが、、、
なんというか、すごい大変だろうなー、と。
編集後記
他にも、「かつて神だった獣たちへ」という漫画も読みました。
タイトルに惹かれて手に取ったのですが、タイトル通りの内容であり、こちらは「クレイモア」感がハンパなかったwww クレイモア好きにはオススメです!
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