「子供嫌い= 人でなし」って、それこそ偏見だよね?

どうも、子供嫌いの純粋結晶こと白戸です。

 

地名は忘れましたが、近隣住民から保育園設置への反対の声や苦情に関するニュースを見ました。子供が嫌い、子供が苦手、子供に興味がない、と公言する人は、最近わりと増えているみたいですね。子供嫌いの私には、味方が増えて心強い限りです。言論の自由バンザイw

 

とはいえまだまだ、「私は子供嫌いなんです」って公言するには勇気と覚悟が必要ですよね。「ゴキブリが嫌い」と言うのとはワケが違いますからね。

 

「ゴキブリ嫌い」は良くて「子供嫌い」はダメなのか?

「考えるまでもないし、そもそも子供とゴキブリを一緒にするなんて信じられない! 駆逐してやる!」と思われる方もいるかもしれませんが、まぁたまには反対意見にも耳を傾けていただければと。

 

「子供嫌い」が、即「サイテー」につながってしまう理由として考えられるのには、まず一つ、純然たる多数決の問題があります。

ゴキブリが好きな人は少ないけど、子供が好きな人は多い。多数派が「正しい」と言うことは社会的に「正しい」とされている。だから、子供嫌いは社会的には「間違い」。数式のように明快ですね。

 

次に、「大人」の過去形は「子供」というパラドックス。

子供嫌いだと言うと必ずと言っていいほど

あんたも昔は子供だったでしょ!

と言い返す人がいます。私も母に93億回くらい言われました。が、いまだに納得できません。

 

人間の子供が、夜中にギャン泣きしたり食べ物を食い散らかしたりウンチを漏らしたりするのは生物学上、当たり前ってのは理解できます。それでも投げ出さず大切に育ててくれた子供好きの大人(親)がいてくれたおかげで、今、こうして自分が言論の自由を満喫できているというのもわかってます。

ポイントは、そんなことはわざわざ指摘されるまでもなく重々承知した上で「子供嫌い」だと公言しているって点です。

 

 

嫌いなものは嫌い。どうしようもない。

近所に保育園が建つのはうるさくて迷惑だからやめてくれと主張したり、電車やレストランで泣き叫ぶ子供の声に顔をしかめてたりするのは「人として酷い」と言われます。

自分だって子供の頃は散々まわりの大人に迷惑をかけてきたんだから、そう思えば寛大な心で他の子供も受け入れることができるはずではないのか、と。

 

これはホント、申し訳ないんですが、受け入れられないです。どうやったって受け入れられそうにありません。なぜなら、これはおそらく純然たる「好き嫌いの問題」だからではないかと。

 

たとえば、ゴキブリを心底愛していてその生態に並々ならぬ好奇心を持ったゴキブリの研究者から

「ゴキブリを好きになってほしい。ほら、あんなにツヤツヤしてて形もカッコ良くて高速で動ける。頭を切っても死なないし、120日間の寿命の中で5回も卵を産むんだよ! しかも卵には数十匹の幼虫が入ってるんだ! 素晴らしい生命力だよね! まさしく神の最高傑作だよ」

と力説されたとして、あなたはゴキブリを好きになれますかってことです。

 

なれないですよね、普通。押し付けられるのはマジ勘弁ですよね。

同様に、「ゴキブリ好き」も「子供好き」も、理屈ではなく、好き嫌いの問題だと思うんです。

 

もしかしたら極論に聞こえるかもしれませんが、子供嫌いの人間にとっては、「ゴキブリが嫌い」と「子供が嫌い」というのは全く同じ感覚なのです。(子供嫌い全員に当てはまるかは不明ですが、少なくとも私はそうです)

「子供嫌いなんて人として間違ってる」みたいな正否の議論にするからおかしくなるワケで、ただ好きか嫌いか、というだけの違いなんですよね。

 

ただ、これを面と向かって説明するとなると、なかなか上手に伝わらないんですよね。。。

 

子供嫌いを公言する人が考えていること

私の母のように “アンチ子供嫌い人” の方は、「子供嫌い」と聞いた瞬間に「え、何こいつサイテー!」的な拒絶反応を示すことが多いのです。もしかしたら “子供は自分の一部” みたいな意識から、自分自身や自分のこれまでの人生をも “批判された” と感じてしまうのかもしれません。

こちらとしては個人の好き嫌いを言っているだけであり、子作り・子育てを否定するつもりとかは全然ないんですが、なんかうまく伝わらないんですよね。。。

 

まぁ、わざわざ自分から子供嫌いアピールをする時は、「すみませんが、子供を遠ざけてくれませんか?」と遠回しにお願いしていることもあります(汗

 

「子供好き」を、押し付けないで欲しい。

 

こちらが「子供嫌い」と言った瞬間に生ゴミをみるような目を向ける方に、一言お願いしたいことがあります。

子供嫌いも子供好きも所詮は好き嫌いの問題なので、子供好きを押し付けないでください、と。

 

自分の好きなものはみんなも当然好きだと思い込んで疑わない人がいます。そういう人は、生まれたての愛しい我が子の写真を友達に見せびらかしたり、抱かせようとしたり、子供に懐かせようと狭い部屋に二人きりで閉じ込めたりしようとします。

ハッキリ言って、これは「押し付け」です。

 

子供嫌いの人にとっては、ゴキブリを家に放たれるようなものです。もしくは「カレーみたいなウンコとウンコみたいなカレーどっち食べたい?」と問われ「どっちも嫌だけど、どっちか食べなきゃいけないならウンコみたいなカレーかな」と答えてウンコみたいなウンコを口に突っ込まれるようなものです。……あれ、これは全然意味わかんないですね!

 

ただ、子供嫌いは世間体が悪いしアンチ子供嫌い派が圧倒的多数なので、多くの “子供嫌い人” はある程度までは我慢します。しかし、頻度が多かったり期間が長かったり、とにかく「ちょっと自分が我慢すれば済む」レベルを超えた押し付けが行われた場合、子供嫌いの人はなにか行動に移さなければなりません。

自分が逃げるか、相手を退けるか。

とにかく、まずは物理的に距離を取ろうとします。

その最初の一手が、”子供嫌い” 宣言なのです。

 

子供好きも子供嫌いも、どちらも間違いではない

例えば、弟夫婦に子供が産まれたけれど、その姉は独身で子供も苦手、という状況を仮定します。例えばもクソも、まぁ私の話なんですけどね!(笑)

 

姉は実家暮らしで、弟夫婦は週末になると両親に孫を会わせにやってくる。両親は孫に会えるのを楽しみにしていて、姉は両親のスネをかじっているので逆らえないし文句を言う気もない。

姉も最初は家族が増えたことを喜び(フリだけでも)、家族団欒の夕食は和気藹々。すべてが順風満帆に思えました。

ところが、姉は少しずつ、子供がいるときは部屋にこもりがちになり、夕食にも「今いそがしいから後で食べるよ」と部屋から出てこなくなりました。子供が近づいても、ぎこちない笑顔を浮かべるだけ。そのうち子供も、姉のことを見ると黙り込んだり、怖がるそぶりをみせるようになります。

両親と弟夫婦は、姉に気を使って子供が姉になつくように呼びかけたり、一緒に遊ばせようとします。しかし、子供は嫌がり、姉の表情もますますぎこちなくなっていきます。

 

ついに姉は「子供嫌い」を白状します。

それでもなんとか会話に誘おうと、両親は夕食の時間をずらしたり、姉と弟夫婦をショッピングに誘いますが、姉は「いまちょっと手が離せないから」と断ります。

ついには、週末にバイトを入れて家を空けるようになりました。

両親(母)は姉を責めます。

母「露骨に顔に出すぎ。大人気ない。私たち(両親)や弟夫婦はこんなに気を使っているのに、あんたもうちょっと愛想よくできないの?」

姉「気を使って欲しいなんてこっちは一言だって頼んでないし、これでも精一杯うまくやれるように距離を置いてる」

母「血の繋がった家族なのに、嫌いだなんて! あんなに可愛いのに」

姉「かわいいと思えるなら、私だって避けない。でもそうは思えないし、読書を奇声で中断されるのに耐えられない」

母「もっとたくさん遊んだりして接するようにすれば、お前にもあの子の可愛さがわかるはず」

姉「押し付けないでよ!」

 

 

この不幸な一例、果たして姉が血を分けた甥っ子を愛せない人でなしの便所虫だから悪いのでしょうか。それとも、子供嫌いだという姉に無理やり子供と交流させようとする家族が悪いのでしょうか。両親も弟夫婦にも、悪気はありません。姉にも、悪気はありません。

 

この問題は、「子供」で考えるからややこしいのであり、例えば「子供」を「ピアノ」に置き換えて、立場を逆にしてみればひとつの答えが出るかもしれません。

 

置き換えてみると、、、

姉はピアノが好きでたまに弾いています。一方、両親はピアノには全然興味なし、練習はうるさいし近所迷惑だと思っています。ここで、姉がピアノを両親に無理やり練習させようとしたら、どうでしょう?

姉「ピアノは最初はなかなか上達しなくてイライラするけど、弾けるようになると楽しいし、友人にも披露できる。脳にもいいし、生活にも新しい刺激になるからおすすめだよ。やってみてよ。私も一緒にやるし、そのうち、一緒に連弾できるようになったら最高だな」

母「この歳からピアノなんて無理よ。それに、好きなら一人でやっていればいいでしょう。私はピアノを弾くより孫と遊んでる方が楽しいし好きなの」

姉「そんなこと言わずに。弾いてるうちに、だんだん楽しくなってくるから!」

母「しつこいわね。そんなに連弾したいなら、ピアノの上手い友達とやればいいじゃない」

姉「私は、お母さんに弾けるようになって欲しいの。ピアノの喜びを知ってもらいたいし、分かち合いたいの」

母「無理よ!押し付けないで!」

 

上述した子供の例とほぼ同じやりとりですが、この例を読む限りは「ピアノを母親に無理やり押し付けるのは変だ」「姉はそんなに好きなら一人でピアノ弾いてりゃいいじゃん」と思いませんか。

 

全く同じように、姉は「両親が子供と仲良くするよう強要される」ことに違和感を感じているのです。好きなら勝手に仲良く遊んでればいいけど、私を巻き込まないでと。

 

子供嫌いにも色々ある。

余談ですが、子供といっても色々いるし、子供嫌いにも色々います。一口に「子供嫌い」と言っても、その背景は様々なのです。

過去に子供がらみで嫌な目にあったのかもしれないし、単に子供が立てる音(泣き声)が嫌いなのかもしれません。特定の子供を嫌いなのかもしれないし、子供を見て何か辛いことを思い出すのかもしれません。

大きく、2つにカテゴライズしてみました。

 

単に、物理的な(音やにおい、形)の問題

子供の発する奇声や泣き声が嫌い、子供特有のミルクとゲロのにおいが嫌い、読書や睡眠中にやってくる無遠慮な足音が嫌い、形としての子供が嫌い、小さい手足や大きな目が嫌い、プニプニして柔らかい肌が嫌い(笑)etc…

関係性の問題

無遠慮に自分をじっと見つめる無垢な瞳が嫌い(もしくはその瞳に映る「無垢で愛らしい子供を嫌う自分」が嫌い)、愛する人(多くの場合は妻や母親)を独占されるのが気に入らない、自分を怖がって母親の影に隠れる子供が嫌い。

ある特定の子供が嫌いなら、もしかしたら「子供が苦手(嫌い)」というのはその親と距離を置きたいというメッセージかもしれません。

 

好き嫌いは、どこまでいってもフィーリングの問題

嫌いにも色々あります。好きにも色々あります。

人が何かを好きになったり嫌いになったりするのに、実は理由はありません。恋をするのだって、知人友人のすべてを長所と短所をリストアップして数値化・比較した結果、「XXさん(くん)が一番好き!」というわけじゃありませんよね。

一目見て、もしくはちょっと話しをして、「好き!」と感じるものです。

 

人の好き嫌いは理屈でどうこうできるものじゃないし、無理やり好きにさせたり、嫌いにさせたりすることもできません。もっというと、人のことを操ろうとしたり無理強いするとか、何様だよって話です。

 

子供好きな人には「そうなんだ、子供好きなんだね〜」と言えばいいし、子供嫌いな人にも「そうなんだ、子供嫌いなんだね〜」と言えばいい。そうすれば「エイリアンvsプレデター」みたいなノリで「子供嫌い vs 子供好き」と火花バチバチの構図にはならないし、世界はもう少し平和になるのではないかと。

それでは!

 

 

末岐 碧衣
  • 末岐 碧衣
  • フリーランス のシステムエンジニア。独立後、一度も営業せずに月収 96 万円を達成。1986年大阪生まれ。早稲田大学理工学部卒。システムエンジニア歴 12年。
    2009年、ITコンサルティング企業に入社。3年目でコミュ障が爆発し人間関係が崩壊。うつにより休職するも、復帰後はコミュ障の自覚を持ち、「チームプレイ」を徹底的に避け、会社組織内においても「一人でできる仕事」に専念。社内外から評価を得た。
    無理に「チームプレイ」するよりも「一人でできる仕事」に専念した方が自分も周囲も幸せにできることを確信し、2015年フリーランスとして独立。

2件のコメント

  • 優しいけどしっくりストンと納得腑に落ちる。
    ピアノとゴキブリで例えると解りやすい!
    確かに苦手意識しているもの無理矢理したりおしつけられても成長しにくいですよね。
    ちなみに私は嫌なこと(子供が騒いでも場を離れたり子供がわかるように説明や躾をしない親、子供がしたことを開き直る、危険なことしても子供見ずにスマホいじってるだけの親そして更にエスカレートする子供見てだんだん嫌いに・・・)があってです。

  • 子供嫌い=人でなし
    と思ったことはありませんが、ごく一部子供嫌いを公言している方の中に子供嫌いだから話しかけられると蹴飛ばしたい、殴りたい、殺したい等という問題発言を発している方も稀にいらっしゃいますので、その所為かなと思います。
    世の中動物嫌いな人もいるでしょうし、子供嫌いな方がいても可笑しくは無いと思いますよ。
    子供嫌い=人でなしという構図はきっと一部の問題発言付きの方々が目立つからでしょうね。

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