幻獣ムベンベを探しにコンゴ探検。リアル冒険家・高野秀行さんの学生時代の話

写真家とか動植物の研究者とか、世界中を放浪しながら、好きなことやって生きてる人って、素敵ですよね。将来の不安とかキャリアの心配とかとは無縁のところで、人生を余すことなく謳歌している感じで。

そういう人たちってどういう転機があって、いわゆる「普通の人生」から外れることになったのか、気になりませんか?

 

この感じのネタってよくテレビで取り上げられたりします。

単純に「面白い人もいるもんだなぁ」と笑って気楽に見られれば良いんですが、わたしなんかはそういうの見るたびに、「いいなぁ……」とつぶやきながら自分の人生と比較してはシリアスモードに突入してしまいます。妬ましいとか羨ましいとか、そういう気持ちはないんですが。いや、ないと言ったら嘘になりますね。正直、ちょっと妬ましいです。いや、ちょっとじゃないか。かなり妬ましいです。もうなに?その輝くような笑顔は!?キィ〜〜〜!

ホント、好きに生きている人たちの爽やかな笑顔が突き刺さります。

 

そんなわけで、完全フィクション以外はそういう人たちの情報が入ってこないように避けながら生きてきたんですが、、、

杜の掲示板_高野秀行(クレジット入れる⇒撮影:森清)

今回、現在49歳(1966年10月21日誕)でリアル・冒険家であらせられる高野秀行さんが書いている本がAmazonで話題になっていたので、思い切って買って読んでみました。

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「幻獣ムベンベを追え」

概要

アフリカ、コンゴのテレ湖というところに、モケーレ・ムベンベ(コンゴ・ドラゴン)という怪獣がいるらしいという噂の真偽のほどを確かめるべく、当時早稲田大学「探検部」の学生達が、高野秀行さんをリーダーとして、大金と膨大な手間と時間をかけて現地調査しに行く。

ネッシーと似ていますが、ネッシーと違って場所が辺境もいいところなので、過去、ろくな調査報告もない。だからマジでいるかもよってことで1ヶ月間、24時間監視を続けて徹底的にテレ湖を調べようぜというノリです。

実際に体験したことなので、すごく細部までリアルに書かれていて、未開の土地に住む部族の人たちってこんな感じなんだ…とか、日本と違いすぎてもう唖然としてしまいます。

ルポ的な感じで淡々と話が進んでいくのですが、やってることがイチイチ、わたしの常識を超えているのです。行動力が半端じゃないのです。

この本を読んで学んだこと

  • 一人ではどうにもならないことも、周囲の人たちの助けがあればできる。
  • 気持ちだけじゃダメ。準備、準備、準備!
  • 困った時は、単刀直入に動くべし。

なんせ、金も権力も何も持っていない学生サークルが、一人の死者も出さずに一ヶ月間コンゴ探検ができたんですから。結構、いまの自分って細かいこと気にしすぎ&心配しすぎだな〜って思いました。そして行動力なさすぎ。ガンガン外に出て、味方を増やすこの行動力を見習わなければ。

しかも単に闇雲じゃないところが、さすが早大って感じですね。自分でできる下調べとか語学とか入国までの超やっかいな手続きは当たり前のようにこなし、その上で周囲の人たちに働きかけています。

準備に2年、費用は自腹だけで計100万円超えてるんですよ。しかも世のため人のために役立つ研究とかじゃないんですよ。幻の怪獣を探しに行くためなんですよ!なんというエネルギー!

この名言、結構好きです。

全く、パイオニアとは徒労をいとわない人のことを言う。

 

以下、ネタバレ注意!!

 

 

 

 

 

 

出発までの行動とその成果

 

一年に一度の恒例行事、部の諸問題について部員全員が徹夜で議論する会(一泊ミーティング)で、最近の部が小規模な活動に終始しているという反省から、中核となる活動を打ち出すべきだという流れに。

最終的には、リーダーの高野秀行さんが提案した、アフリカ、コンゴの幻の怪獣「モケーレ・ムベンベ」を探しに行こうという案で盛り上がった。

しかし、資金や入国の許可など具体的な諸問題が立ち上がり、その場は「具体的な方法については今後検討していきます」という言葉で終結。

アフリカ探検隊の先人にインタビュー

ミーティングからしばらくして、駒澤大学の探検部がアフリカに怪獣を探しに行ったという噂を耳にした高野秀行さんが、その探検部の部室、コンゴ遠征隊副隊長の水口さんという人に会いに行く。

当時、コンゴと日本は国交がなく、互いの大使館もない状況。水口さんたちは、フランス経由で隣国に赴き、コンゴの短期観光ビザをとって入国した。首都ブラザウィルから飛行機でインプフォンドという町まで行ったが、それ以上進むには「入国料」を払う必要があると発覚。金もなかったしビザも切れたので、水口さんたちの遠征隊はそこで引き上げとなった。

専門家を紹介してもらう

水口さんの紹介で、モケーレ・ムベンベにも興味を持っていてコンゴにも10年前から行きたいと思っていたという高林さんという人に会い、学会の資料などをもらう。しかし資料はフランス語か英語で書かれており、とりあえずかたっぱしから翻訳する。

誰でもいいから仲間を集める

最初は高野秀行さん一人だったが、岩登りに熱中していていずれは秘境の絶壁を登りに行くつもりという高橋さんを誘い、さらに同期の二人を誘う。高野秀行さんを含め四人の中核メンバーが結成される。

フランス語を本格的に学ぶ

コンゴは旧フランス領で、現在も公用語はフランス語。高野秀行さんは辞書さえあればある程度は読めるが、会話は全くできない状態。

困っていたところ、ある日電車に乗っていると隣の座席に座った若い女性がフランス人であることに気づき、高野秀行さんはその場で女性にフランス語を教えてくれるよう頼みこんだ。

結果、フランス語が話せるようになっただけでなく、その女性のツテでコンゴへの中継地点であるパリに拠点ができる。

 

コンゴ・ドラゴン・プロジェクト(CDP)発足

新たに2名が参加表明。ミーティングを行い、図書館に通い、アフリカ文献を読みまくる。しかしコンゴに関する日本語の資料は皆無。

テレビ局との合同遠征

困ったら、単刀直入に動くべし。

高野秀行さんは、「来年(1988年)の春、コンゴのテレ湖に行きたい」という手紙をコンゴ政府の森林経済省動物保護局のアニャーニャ博士に直接送る。

二ヶ月後に返事が届く。

「日本のテレビ局からも同じ時期にテレ湖遠征の申し込みがあったので、合同にするか時期をずらすかしてほしい」とのこと。調べると、テレビ関係の企画会社に所属する長井さんという人がモケーレ・ムベンベ(コンゴ・ドラゴン)のドキュメンタリー番組の企画を、あるテレビ局に提出していたことがわかった。

高野秀行さんは長井さんに会い、話し合いの末、合同でテレ湖に行くことが決定。

コンゴ・ドラゴンの前にコンゴ人を探せ!

現地の共通語であるリンガラ語くらい話せるようになろうと思った高野秀行さんたちCDPのメンバー。しかし、アフリカではメジャーなリンガラ語であるが、日本にはまともなテキストがない。

「困ったら単刀直入作戦」で、在日コンゴ人を見つけ出し、直接リンガラ語を習おうと決起。池尻の定食屋でコンゴ人学生がバイトしているという情報を得て、池尻を走り回るが、結局、CDPメンバーの一人が出入りしていたチベット文化研究所でザイール人を見つけ、その人を師とすることとなる。

第一次コンゴ遠征(下見)

CDPのメンバーも総勢8名に増えたが、高野秀行さんは大規模な遠征隊を送り出すにはあまりに心もとない本や人から聞いた情報に苛立ちを募らせていた。

そして思い立ち、連絡ノートにマジックでなぐり書き。(カッコイイ。よだれが出そうです)

「おれは夏休みにコンゴへ行く。費用は40万円。一緒に行きたい奴は誰でも来い」

OBの先輩のはからいで朝日新聞に大きく取り上げてもらい、高野秀行さんともう一名で出発。パリ、ザイールを経て、二週間かかってコンゴに入国。アニャーニャ博士のところへ押しかけたが、暖かく迎えられる。

夏は雨季でテレ湖への到達が難しいということで、まだ誰も調査を行っていないというテレ湖北部の村へ向かう。この際、コンゴの政府関係者に会い、正式な許可も取り付ける。

その後、さらに二週間かけてテレ湖周辺の村で怪獣に関する聞き取り調査を行う。怪獣情報はあまり得られなかったが、一ヶ月にわたるコンゴ生活で、高野秀行さんはリンガラ語をかなり覚え、現地を確かめ、役所、町、村を問わずそこらじゅうに知り合いを作った。

 

第二次コンゴ遠征(本番)

各企業への応援要請

CDPは話し合いの末、写真やビデオ、録音テープなどを利用し、誰もが納得できるような形で怪獣の実在を証明することを最終目標に定めた。そのためには道具がいる。

各企業に協力を要請することにしたが、ただ順番にメーカーを回って寄付を頼んだわけではない。

まず、機械に強いメンバーが、あれば便利だろうと思われるあらゆる種類の機材のカタログを集め、東京中の電気屋、カメラ屋などを歩き回って、各メーカーの商品を性能、値段、使いやすさ、防水性、付属部品の性能、耐久性、電源など全ての面にわたって研究し、テレ湖遠征にどのメーカーのどの機種がいいかを決めた。

次に、「企業説得セット」を作った。中身は以下の通り。

  • CDP概要(30ページ)
  • 第一次遠征報告書(60ページ)
  • 第二次遠征計画書(15ページ)
  • 今までに協力してもらった企業のリスト
  • 帰国後、発表する予定であるマスコミ、メディアのリスト
  • 西原春夫早大総長のお墨付き

メンバーの一人が交渉の具体的な方法をみんなに教え、このセットを持って各メンバーがメーカーにアタックするという方法をとった。

ちなみに、この「企業説得セット」は英訳すると「コンゴ政府説得セット」になって後々まで重宝したという。

続々と集まる物資

この結果、さらに東京新聞が後援してくれることにもなり、必要な装備は続々と集まった。

戦利品は以下の通り。企業名はここでは割愛します。(本書には誰もが知るビッグネームが延々連なって記載されています。。どうやって交渉したんでしょう、、すごい営業力ですよね)

水中超音波探知機、スターライトスコープ(暗視スコープのこと)、ストロボ、大型三脚、乾電池、カロリーメイト、ココア、アメ、キャラメル、蚊取り線香、虫除けローション、フィルム、高指向性マイク、8ミリビデオセット×2、カセットレコーダー×2、トランシーバー、500ミリ望遠レンズ、カメラセット×6、フィルム。

ソニーには最初、広報部であっさり蹴られたそうだが、めげずにメンバーの一人が井深大名誉会長に手紙で直訴し、探検部顧問の奥島孝康先生の早大当局への働きかけが功を奏し、多大な援助を受けられることになったそうです。

他にも、東京新聞を通じて直接借りられた機材も多いとか。

 

医療係のメンバーは熱帯医学協会に何回か足を運び、注意すべき病気の知識を仕入れ、マラリア治療薬や抗生物質を購入した。

探検部OB会でCDPの計画を発表

作家、国際ジャーナリストなどそうそうたる諸先輩方にボロクソにけなされるも、高野秀行さんはこれを激励と受け取り、負けずに大声で言い返す。

「やると言ったらやります!」

これでもう後には引けなくなったそうな。(カッコイイ)

残る費用の問題

高野秀行さんは、第一次遠征の経験から、一人70万円と見積もっていました。様々なテレビ局やマスコミ関係者と接触し、スポンサーを探したがうまくいかず、結局は各自、それぞれ自腹を切るはめになったそうです。

 

さて、かくして高野秀行さん率いるCDPメンバーはアフリカ、コンゴへと旅立ちましたとさ。

果たしてモケーレ・ムベンベは実在したのか!?

 

本当は全部書きたいところですが、それではレビューの域を超えて本の丸写しになってしまうので当記事ではここまで。高野秀行さんご自身の口調で書かれた本書を読んでいただ方が、彼のシンプルかつ楽観的な考え方、モケーレ・ムベンベをめぐってすれ違う日本人とコンゴ人、食料問題、ベースキャンプの衛星状況、一ヶ月間何もない湖で過ごしたメンバーそれぞれの思いなど、ここではご紹介しきれないほど盛り沢山です。

 

本書の個人的ハイライト

最後に、本著でわたしがハイライトした部分を貼っておきます。

「何とかなると思えば、たいてい何とかなる」という非論理的な強い信念が私にはある。

 

黒々とどこまでも続く密林のど真ん中にある湖のほとりに、ちっぽけなランプが一つと二人の人間しかいないのだ。

 

いつまでもうだうだ言っていてもしかたない。夕食後、”異常事態発生記念”と称して、温存していたココアを放出する。(中略)熱く甘いココア、ジャングルにおいて、これほど人の心を落ち着かせるものはないのである。

 

本日は、”異常気象発生記念”と称して海苔を醤油で食ってしまう。最近ではもう「もったいない」という感覚もなく、モノがなくなっていく身軽なスイスイという壮快感と端的な「おいしさ」を楽しんでいる。(中略)身体ひとつあれば充分なのだ。

 

自分が食らうべき獣に哀れを感じるのは、われわれが自然から離れすぎてしまったからだとわかっているのだが、わかっているだけである。

 

みな粛然とし言葉もない。(中略)「楽勝で四十日過ごすなんてつまらないじゃないか。これで面白くなってきたぞ」という気持ちである。

 

読んでいる間は、ワクワクハラハラ。時に笑い、時に手に汗握る。

読み終わったら、「自分はなんて小さなことでウジウジしてたんだろう」ってなります。

短くて語り口も爽やか軽快なのでサラッと読めちゃいますよ。そして最後に出ている各メンバーの顔写真と「今、なにしてるか」も面白い!

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p.s. 大学時代の高野秀行さん、かなり精悍なイケメンでびっくりしました。(もっとイモいオタク系男子だと思ったのに、、、)

p.s.のp.s. この高野秀行さん、わたしの大好きなナショジオで現在も連載中でした!またまたびっくり!

ノンフィクション作家・高野秀行 ー行ってみなけりゃわからない!ー

 

末岐 碧衣
  • 末岐 碧衣
  • フリーランス のシステムエンジニア。独立後、一度も営業せずに月収 96 万円を達成。1986年大阪生まれ。早稲田大学理工学部卒。システムエンジニア歴 12年。
    2009年、ITコンサルティング企業に入社。3年目でコミュ障が爆発し人間関係が崩壊。うつにより休職するも、復帰後はコミュ障の自覚を持ち、「チームプレイ」を徹底的に避け、会社組織内においても「一人でできる仕事」に専念。社内外から評価を得た。
    無理に「チームプレイ」するよりも「一人でできる仕事」に専念した方が自分も周囲も幸せにできることを確信し、2015年フリーランスとして独立。