誕生日とは、プレゼントをもらう日ではなく、親に感謝する日。

カテゴリー 卑屈で塗り固めた深夜の本音トーク
突然ですが、あなたは水(大好きな日本酒やビール、ワインでも良いのですが)が半分入ったコップを見て、どう思いますか。
つまりは、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うか。
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「まだ半分ある」の向こう側

「求めよ、さらば与えられん」とするキリスト教的発想においては「もう半分しかない」と思い、「足るを知る」を重んじる仏教的発想においては「まだ半分ある」と思う。
前者はその後に「困った」という言葉が、後者は「良かった」という言葉が続くでしょう。
シーンによっては前者の考え方の方が上手くいくこともあるでしょうし、どっちの方が良い悪いという話ではないのですが、「どちらの方が幸福感を得られやすいか」という点で言及するなら、いうまでもなく後者でしょう。
「まだ半分ある」の向こう側には、そもそも最初に水を与えられたこと自体を「ありがたい」と思う感謝の心があります。
感謝の心は、言うなれば「幸福への最初のスイッチ」だと思うのです。「まだ半分ある」の考え方で感謝のスイッチを入れて、心を感謝モードにすることこそが幸福への第一歩なのではないかと。

ヒトの赤ちゃんが自然界最弱なら、母は自然界最強の生物である

弟に子供が生まれ、その子を見て抱っこして強く感じたことがあります。
それは、ヒトの赤ちゃんって、めっちゃ無力じゃん!ということ。
一人では立つことも出来ず、口元に哺乳瓶を持っていってあげなければ食べることも飲むこともできません。トイレも出来ないからおしめを変えないと不衛生で病気になるし、放っといたら洗剤でも電球でも何でも口に入れてしまいます。ヘラヘラ笑いながら熱湯の入った鍋に手を伸ばします。
犬の赤ちゃんだってふんふんしながら目が開いてない状態でもお乳を探して自分から吸い付きますし、馬の赤ちゃんなんて生まれてすぐ立ち上がって走れるんですよ。
思うに、ヒトの赤ちゃんって自然界で最弱なのではないかと。
ひとりでは何も出来ず、二年間もの長期に渡って全てを母親がケアしてあげなければ、常に細心の注意を払って世話してやらなければ簡単に死んでしまうのがヒトの赤ちゃんなのだと。
こんなに生命力の弱い生き物って他に見当たりません。ではなぜこんなに弱い生命種が滅亡せずに、今も栄華を誇って地球上で73億人も生きていられるのか?
それは、ヒトの母親が子供を死なせないように必死になって育ててきたからです。
そもそも出産の時、多くの母親は「自分の命と引き換えにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うものらしいです。(すごいですね!)実際、母親の命と引き換えにして生まれた子供も珍しくありません。無事出産できたとしても、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数知れずです。
まさに、母親とは命をかけて自分を産んでくれた、育ててくれた存在なのです。
ヒトの赤ちゃんが自然界で最弱なら、ヒトの母は自然界最強の生物と言えるのではないでしょうか。そして、その母子を包んでしっかり守ってくれたのが父親です。
誕生日とは、プレゼントをもらえる日ではなく、命をかけて自分を産んでくれたお母さん、そしてお母さんと自分を守り、育ててくれたお父さんに対して感謝する日だと思います。

誕生日=プレゼントをもらう日、ではない。

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自分の誕生日に両親に対して心からの感謝をすることこそ、心を感謝モードにする第一のスイッチであると感じます。
そして、両親への感謝を切り口に、自分が飢えることなくものを食べられるということへの感謝、着るものがあることへの感謝、住むところがあることへの感謝、自由に動く健康な身体があることへの感謝、毎日朝日を拝めることへの感謝、と、どんどん感謝の気持ちが溢れてきて、自分がどれだけ感謝を知らずに生きてきたかを気付くきっかけになります。
私事で恐縮なのですが、つい先日、わたしも誕生日を迎え、29歳となりました。
いままでは「今年は何がもらえるかな〜いくらもらえるかな〜」とソワソワしていましたが、今年は、福岡に移住し、近くに知人がひとりもいない、ケータイもSIMフリーに切り替えるのを機に連絡先も全てリセット済、という環境で誕生日を迎えました。
なので「もらえる」という考えはハナから頭になく、じゃあ何をしようかな? と考えて、そもそも誕生日ってどういう日なんだろう、と思い立ったのが、この記事を書くことになった発端です。
誕生日って、もらう日ではなく、本当は自分が感謝する日なんじゃないかと。そして、その方が幸せなんじゃないかと。
「もらえる」と思っていたら、プレゼントが自分の欲しいものと違っていたり、連絡をくれなかった友人に失望したりと、どちらかというと「ハッピー」より「ガッカリ」を強く感じることが多いのではないでしょうか。
逆に、「誕生日は両親に感謝する日」と思っていれば、今年の私のように何もなくても、今の自分があることに感謝でき、幸福を感じることが出来るんです。誰かからおめでとうメールが来ただけで、「わぁ、覚えててくれたんだ!嬉しい!」となります。
生まれて初めて実感したのですが、両親への感謝を皮切りに、あらゆることに心から本気で感謝できるようになれば、その人はすでに幸福なのです。幸福へ至る道の最初の入り口は、誕生日に両親に感謝すること、なのだとわたしは思いました。

全ての幸福サイクルを作動させる初期動作とは?

あまり知られていませんが、動物は「死」を恐れません。死の恐怖とはつまり「自我」の喪失であり、自我とは人間特有の概念だからです。自我とはデカルトの「我思う、ゆえに我あり」であり、ヒトの自我とはまず自分を自分だと思うところから始まるんです。そしてヒトは、自分を自分だと規定してくれる何か、支えのようなものを必要としています。
自分を自分だと規定してくれる存在とは、西洋ではキリストのように神であることが多いですが、別に必ずしも神である必要はなく、普通は自分を産んだ親に求めます。親とは自分をこの世に出現させた根本原因であり、いわば自分の「創造主」だからです。
親を大切にする、親に感謝することは、自分を自分であると確信することであり、自我の支えとなって諸々の不安や不幸を吹き飛ばすことにつながるのではないかと。
人間関係を良くする法則の体系である「儒教」においては、親の葬礼を「人の道」の第一義としました。親が亡くなったら、必ず葬式をあげて弔うことを何よりも重んじたのです。
親に感謝する、親を大切にする、という超シンプルなところに、全ての幸福サイクルを作動させる初期動作が隠れていたのではないでしょうか。

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