限界に挑まない限り、自分がどれくらいできるかはわからない

カテゴリー 卑屈で塗り固めた深夜の本音トーク

「限界を知る」という言葉を聞くと、「諦める」「自分はひとかどの人物にはなれないと悟る」みたいなネガティブな連想をしてしまいがちですが、全く逆の意味に捉えることもできます。

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限界を知る≠諦める

忘れてはいけないのが、人は成長/変化する生き物だということです。

今の自分の限界=人生の限界、ではないんです。子供の頃は出来なかったことで、今は当たり前のように出来ることってたくさんありますよね。

 

例えば、

5歳の頃は漢字で自分の名前を書けなかった人も、今はいろんな言葉を知っていて、名前どころか住所も文章も書けます。

10歳の頃はマラソンで2キロ走るのが限界だった人で、今はお金を払ってハーフマラソンの大会に出場している人もいます。

20歳の頃はアルバイトで月10万円稼ぐのが限界だった人が、今は就職して立派に一人暮らしをして税金もきちんと払っています。

30歳の頃は月収20万円で社畜をやっていた人が、今は会社経営者として社員を養っていることだってザラにあります。

 

何が言いたいのかと言うと、今の自分が思っている「限界」って、所詮は「今の自分の限界」でしかないってこと。

人間に限って言えば、限界とは「更新可能なもの」です。

8GBのメモリに、今日は8GBのデータしか入らないけど明日は10GB入る、とかありません。正真正銘、8GBが限界です。

でも、人間は違いますよね。今は10回しか腕立て伏せができなくても、毎日鍛えれば1年後には100回だって出来るようになっているかもしれません。今は中学レベルの英単語すらわからなくても、勉強すれば1年後には英語ペラペラになっているかもしれません。

 

それって、ホントに限界ですか?

「自分にはこれくらいが限界だから」って思い込んでいる人に限って、本当は限界に挑んだことすらない、ということが多い気がします。

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誤解のないように言っておきますが、人は一般的に怠惰なものです。怠惰なのは特徴であって欠陥ではありません。

動物は、疲労困憊して倒れるまで、理由もなく一日中走り回ることはしません。疲れて動けない時に捕食者や外敵が現れれば、逃げたり闘ったりする余力もなく殺されてしまいます。つまり、本当に必要がない限りはエネルギー消費を避けるのは、進化の結果と言えます

過去数十年かけて行われた研究で、マラソン選手の身体がどのように痛みに反応するかを調べた結果、「疲れ果てて今すぐ死にそうだ」と感じる瞬間でも、実際の死の間際とはまるでかけ離れた数値を示したと言う話もあります。脳が身体に送っている信号は警告であり、ある程度、予備のエネルギーを保つようにして、後でエネルギーが必要になる自体に備えているんですね。

 

本当の肉体的な限界に挑戦するには、この脳のリミッターを外す必要があるので容易なことではありません。しかし、今日言いたいのはそういう物理的な限界じゃなく、「自分が思っている限界」のことです。

(自分が思っている)限界に、挑戦したことはあるだろうか、という話です。

 

前述した通り、自分が「死にそうだ」って思うくらい頑張っても、実際に死ぬことはありません。勉強をして「頭がパンクして死にそう」と言う人の中に、本当に死んだ人はいません。

じゃあ過労死はどうなんだ、という声が聞こえてきそうですが、実は彼らは身を粉にして昼も夜もなく働いている最中に「今にも死にそうだ」とは思っていません。そういう段階はとっくに超えていて、言わばハイになっているんです。だから、身体の悲鳴に気付かないし、顕著な異変(眠れない、お腹が空かない、四六時中どこかが痛い)があっても気付かないフリをします。

 

だから、まだ限界に挑戦したことがないという人は、身体とか命の心配なんてしなくていいんです。そういう心配は、まず「死にそう」って思うほど頑張ってからでも遅くありません。(というか、何もやらない人に限って、本当に死んじゃったらどうするんだ、みたいなことを言うんですよねぇ。やらない理由を探すというか。やる人はゴチャゴチャ考えずにただやりますから)

 

「限界に挑む」とは、どういうことか

限界って、まず挑まないと知ることはできません。では具体的にどうすれば「限界に挑んだ」ということになるんでしょう。「限界に挑む」ということは、「他の全てを捨てて一つの目標・対象にフルスロットルで挑む」ということです。

全ての挑戦は行動によって成されるので、「肉体的な限界」を自分が感じることが出来ればそれは限界に挑んだと言えるのではないかと、私は考えています。

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筋肉的な限界

これはスポーツとかだとわかりやすいですね。登山、マラソン、筋トレなど。これまでの自分の記録を超えて、なお続け、「もう死にそう」って思うまでやれば、それは自分の限界に挑んだということになります。

 

 

時間的な限界

頭脳労働や勉強の場合はコレに当たります。他のことには脇目も振らず、没頭していられる時間の限界ですね。

たとえば、(これはあまり良い例じゃないかもしれませんが)私はサラリーマンの時、始発で帰ってシャワーだけ浴びて9時に出社、コンビニ弁当を自席で食べる時も仕事をしている、という生活を2週間ほど続けた時期がありました。ある時、プログラミング中に突然、止める間もなく机の上に放り出していたコンビニの袋に嘔吐してしまいました。

心身ともにボロボロになり、地球が滅びれば良いのにと願っていましたが、あの経験をもって自分の限界(他の全てを捨てて仕事に没頭できる期間)を知ることが出来たと思います。

 

限界に挑む→限界を知る→限界を更新する=人生

年齢が上がるにつれて、「どれくらい変化/成長したか」は人によって差が大きくなります。二人の5歳の子供を10歳になった時に観察するのより、二人の5歳の子供を50歳になった時に観察する方が、二人の間に開いた「差」は大きいですよね。

この世で唯一平等に与えられた資産である「時間」をどのように使ってきたか、何を積み重ねてきたかが人によって違うからです。経過した時間が大きいほど、「積み重ね」の差は大きくなります。

 

若輩者の分際でこんなこと言うのはちょっと恥ずかしいんですが、人生の醍醐味って、今の自分の限界に挑み続けることだと思うんですよねぇ。

もちろん、24時間365日休みなく寿命が来るまで限界チャレンジするって意味じゃないです。そんなの不可能だし。日常的には自分が最高のパフォーマンスを発揮するために、何が必要かを考え、行動するのが大前提です。ただ、エネルギーが充電できてきたなぁってタイミングで、「よし、いっちょやったるぜ」みたいな感じで、これまでの自分の記録だとか、新しいことに挑むんです。

「今、自分超えたわ」っていう瞬間って、嬉しいし楽しいですよね。そんな人生っていいなーと思うんです。

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