あなたは大衆人か、それとも小数賢者か?

カテゴリー 読んでよかったレベル20以上の本たち

大衆の反逆 (中公クラシックス)

1929年に書かれたホセ・オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」を読みました。やはり100年近く経っても評価されている本というのは重みがありますね。毎日のように量産されている現代のハウツー本や新書とは全く別物というか、、、別に書店に山積みにされている本が悪いと言うわけではないのですが、やはりこういう本と比べると軽薄な感じは否定できません。
情報化社会とは言え、やはり大した努力をしないでも勝手に入ってくる情報(テレビ、ネット、ニュース、)って偏ってるんだなぁと痛感しました。
時代も国も違うところで書かれた、しかも名著というのは、自分を含め自分の周りにいる人たち(現代日本人)とはまったく違う価値観、視点を持っています。なので、こういう本を読むと本当にハッとさせられることが多いし、自分がいかに何も考えていなかったのかを気付かされるので辛いのですが、それ以上に新しい発見がたくさんあります。

「大衆の反逆」ってどういう本?

非常に濃い内容なんですが、ひと言で言うと「大衆人」をめちゃくちゃディスる本です。

そして、オルテガはジョージ・オーウェルが描く『1984年』の世界やローマ帝国のように、一部の少数者が大衆を支配していた時代が終わり、世界の支配者が「大衆人」となってしまった現代に警鐘を鳴らす、という内容です。つまり、今まで支配されるだけだった大衆が、支配者になってしまったと。そういう意味で、「大衆の反逆」なんですね。

もはや主役はいない。舞台にいるのはただ合唱隊のみである。

 

大衆の反逆が起こると、必ず「密集」と「充満」が発生します。つまり、それまで小数の支配階級が利用していた建物や施設が、とって代わった支配者である大衆人で溢れ返るという現象です。溢れ返ると言うことは、そもそもその建物なり施設なりは、「大衆」を想定して造られていないということです。元々は少数者たちのものだったんですね。

 

オルテガは、世界には「大衆人」と「小数者」の二種類の人間がいると主張しています。それぞれの特徴は後述しますが、この区分は身分とか社会的地位とか貧富とかは関係ありません。「人間性」で区分けしています。

恣意で生きるは凡俗なり。高貴なる者は秩序と法に憧れる。
ゲーテ

大衆人の特徴

凡庸人、平均人、愚者、オルテガは色々な言い方をして大衆人をディスっているわけですが、間違ってはいないんですよねぇ。百年前から、大衆人の性質は変わっていないんだなーと。
大衆人とは?
  • 自分にはなんら特別なことを課すことなく、生きるということが既にある自己をたえず保持することで、自己完成の努力をせずに風のままに浮かぶブイのように暮らす人々
  • 権利だけがあると考え、欲求のみを持っている
  • 頑として他人のものとなることを拒否する譲渡不能な自身の精神、取り消すことのできない自我の欠如
  • 自分より優れた審判を一切認めない閉鎖性
  • 自分を疑うことをしない
  • 自分を分別に富む人間と考えている
  • 自分が他人と同じであることに苦痛を感じず、喜びを感じる
いま、何人かの顔が頭に浮かんだんじゃないでしょうか。コレ自分のことだ……という人も、特に落ち込む必要はないと思います。別に、そういう種類の人間だ、というだけなので。それに、自分で気付いて変わろうと思えばいくらでも変わることは出来るんです。気付かない(というか考えもしない)のが「大衆人」であって、気付いて変わりたいと思った時点で、あなたは小数者の部類に入っています。
余談ですが、わたしは「ハロウィン」とか言って渋谷で仮装して馬鹿みたいに騒ぐ人たちのことが思い浮かびました。彼らはものすごいお金と時間をかけて仮装の衣装を準備するんですね。
街頭インタビューで「どうして仮装するのか?」という問いに「こんな時じゃないと目立てないから」と返していました。まさしく日の目を見ない大群、大衆人ですね。仮装の群れの中で仮装することで「目立つ」と思える思考回路がわたしには理解不能ですが、彼らの心の空洞をかいま見た気がした瞬間でした。
野卑・堕落は本来あるべき姿になることを拒否した者に残された生の形態に他ならない。しかし、だからと言って、本来あるべき姿が死滅したわけではなく、それは彼を責め立てる影や亡霊に姿を変えて、彼が持つべきであった存在形態に比べると現在の存在形態が劣っていることをたえず彼に感じさせるのである。堕落者とは、生き長らえている自殺者である。
「群衆」というのは量的かつ視覚的なものである。

小数者の特徴

オルテガは少数者のことを「貴族」と言い換え、貴族の特権を賞賛しています。
貴族と聞くと現代日本人の多くは「没落」「二世」「親の七光り」「無能」「過去の遺物」みたいな言葉を連想しますが、オルテガが言っているのは “そういう貴族” ではなく、もっと本来的な意味としての貴族です。
彼のいう貴族に「貴族の息子」は含まれていないんですね。私たちが想像するような「親、もしくは祖先が優れた人だったというだけの何もしない人たち」、世襲制貴族のことではないんです。
「貴族」とは本来、無名の大衆から抜きん出て自己の存在を知らせた人、努力した人、優れた人であり、「知られた人」という意味があります。
つまり「貴族の特権」とは戦いとったものであり、個人的権利だと。その人間が努力して達し得た限界線であるということです。「人間および市民として」の一般的権利のような受動的財産、単なる利益や余録、無人称的権利とは一線を画して当然だと。
少数者とは?
  • 他人より多くの、しかも高度の要求を自分に課す人間
  • 自分に多くのこと課して困難や義務を負う人びと
  • 自分から進んで彼を超えるものに、彼よりも優れた規範に奉仕しようとする内面的必然性を備えている
  • 本質的に奉仕に生きている者は、選ばれた被造物であって大衆ではない
  • 奉仕する対象が描けると不安を感じ、自分を押さえつけるより困難で、より求めることの多い新しい規範を発明する。
  • 自分の正を何か超越的なものに奉仕させないと生きた気がしない
自己の存在に立ち向かい、自己の存在に全責任を負う者はすべて、自分を常に警戒態勢におかせるある種の不安を感じるだろう。
 さて、あなたは大衆人、少数者、どちらでしたか?
個人的には、大衆人は大衆人で幸せなんだろうけど、自らを厳しく律し、緊張状態の中で充実した人生を送る方が満足度は高いだとうと思いました。大衆人は自分が幸せなだけですが、少数者はたくさんの人を幸せに出来るというのも良いですね。
どちらの生にするかはあなたの自由。後悔ない選択をしたいですね。
p.s.
書店では手に入りませんが、幸いなことにこういう名著はAmazonでいくらでも入手可能です。大きい文字で書かれた「〜になるための〜の方法」みたいな量産本を買うより、こういうズッシリしたものを一冊、時間をかけて読む方が得られるものが大きいと思います。
しかも “忙しい” 日本人でこういう本を読む人は間違いなく少ないので、読むだけで自分をひとつ、差別化できますよ。家の本棚にこういう本があるとカッコイイという特典もありますw

あなたは大衆人か、それとも小数賢者か?” への1件のフィードバック

  1. コメントありがとうございます。嘘は書かないと決めているので、当ブログに書いていることは全て本心です。全ての人に共感してもらえるなんて期待していません。一部の人に、このブログを読んで面白がってもらえたり、元気になったとか参考になったとか思ってもらえれば良いなと。
    不快に思われたなら申し訳ありません。

    夢ばかりみているというのはおっしゃる通り。でも何歳になっても夢は捨てたくないというのがわたしの意見です。誰にも迷惑をかけず、自己責任で追いかける夢はあっても良いのではと思います。

    小説、読んでいただいてありがとうございます。厳しいご意見ですが真摯に受け止め、より面白いものが書けるよう努力したいと思います。

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