もしも相席屋で○○と相席になったら

カテゴリー ハードな自作短篇小説

相席屋

読者諸君は相席屋という形態の飲食店をご存知だろうか?

女は無料で、その店の好きなものを好きなだけ食べることができる。なぜなら男が、料金を払うからである。男は出会いを求めてその飲食店に出向き、女と相席して食事と会話と刹那的な恋の駆け引きを楽しむ。女は無料で食事をする代わりに、どんな相手でも相席を断ることができない。ランダムな出会い。言わば合コンの亜種的システムだ。店に頻繁に出向く女は、食べ過ぎて太るのが悩みだと言う。日本は実に平和で幸福なユートピアである。そんな中、いつも同じ奥の個室を陣取っている二人の女も、また似たような会話をダラダラと続けているのであった。

 

「ちょっと辛いもの食べたいなー」

「キムチは?」

「えー、もうちょいこう、食べ応えのあるやつがいいな……あ、ハバネロ塩焼きそば」

「また太るよ。キムチにしとけば良いのに」

「デザート食べなきゃ大丈夫。辛い分、脂肪が燃焼して痩せるかも」

「焼きそばを食べて痩せるわけないじゃん」

「あはは、それもそうか。でも、フレンチトーストよりカロリー低そうじゃない?」

右側から迫り来る巨大な顔面から逃げるように、亜弓は「うーん」と言って左に頭を傾けた。亜弓の返事をイエスと誤認したのかそもそも聞く気がなかったのか、真弓は太った指先で器用にオーダータッチパネルを操作し、ハバネロ塩焼きそばを注文した。

まったく、と亜弓はため息をついた。しかしそれは、飲み会で泥酔する同僚を文句を言いながらも決まって家まで送りとどける面倒見のよいアニキ肌の先輩社員が、可愛がっている後輩社員の無垢な寝顔を見て漏らすときの「まったく、しょうがねぇな」のため息とは全く違う種類のものである。

亜弓が生活する中で最も忌避していること。それは、肥満である。

世の中には「適度に太った女の方が、ガリガリより好き」という男が存外多いとう噂がまことしやかに囁かれていたが、そんなものは炭水化物を我慢することに疲れたダイエット落伍者たちが、食べたいものを好きなだけ食べるときに使う免罪符に過ぎない、というのが亜弓の持論だった。

しかしそれでは真弓に結婚歴があり、今年で四歳になる女児があり、離婚歴があり、さらに今も年上の恋人がいることへの説明がつかない。何事にも例外はつきものであるが、しかし、こんなおおらかなだけが取り柄のような肥満女が、自分が欲しがっているものを何もかも持っているというのは、亜弓にはどうしても解せなかった。

紀州梅酒ソーダ割りのグラスを傾け、チラリと右側を見た。ガツガツという効果音がぴったりの食べ方で、真弓は自分のこぶしほどもある大きな唐揚げを食いちぎっているところだった。額はうっすらと脂汗に濡れ、脇の下はびっしょりと脂汗に濡れていた。上下左右にパンパンに引き延ばされたその可哀想な服をギュッと絞れば、本物のとん汁がお椀一杯分取れるだろう。亜弓は臭気を漂わせる椀を想像し、いっそう食欲を減退させた。

「これ、食べないならもらっていい?」

真弓は大皿に残った最後の唐揚げを箸で数センチ持ち上げ時点で我を取り戻したのか、ハッとして唐揚げを皿に戻し、そのように尋ねた。箸は唐揚げの上空で待機したままだ。仮に唐揚げを食べたかったとしてもそんな体勢で飢えた目で見つめられればダメとは言いにくい。

「いいよ」

もちろん、お好きなだけどうぞ。声に皮肉の響きが混じらないよう、亜弓は最新の注意を払った。

軽いノック音がして、個室のドアが開いた。若い男性定員がひょっこりと顔を覗かせる。適度に焼けた肌はニキビ痕ひとつなく、目は子犬のように可愛らしい。おそらく大学生であろうが、髪は染めておらず硬派な印象を与える黒髪の短髪だった。ついこの間までは高校球児だったのかもしれない。このような貞操のゆるい太った女たちと安く女と遊ぶ場所を求める軽薄な男があつまる居酒屋には、到底似つかわしくない風貌であった。

「二名様、相席お願いしまーす」

彼は亜弓に向かって、よく通る声で言った。亜弓にはそれが、少し怒りを含んでいるように感じられた。もしかしたら、嫉妬しているのかもしれない。

亜弓は彼が自分のことを実は好きなのではないかと疑っていた。なぜならどんなに店が混雑していようが、給仕のために亜弓たちの個室にやってくるのはいつも彼であったし、亜弓が訪れる水曜日に彼が不在だったことがないからだ。この店のレベルに似つかわしくない、という点で、亜弓とその男性店員は共通している、と亜弓は考えていた。

毎朝、意中の男と挨拶するただ一瞬のためだけに念入りなナチュラルメイクを施し、犬の散歩に出かけるのと同じだ。自分は真弓に付き合う形でしぶしぶ店に来ている、別に男漁りをしたいわけではないのだという体裁の下、実は彼と密かに恋心を通わせている。彼の方も、亜弓の潔癖性を信じながらも、彼女の向かいに見知らぬ男が座り、食事を楽しむ姿を見て胸をざわめかせている。

そんな妄想は、日に日に亜弓の中でリアリティを強化させていき、ついには彼女にとって紛うことなき真実となったのだった。

「よろしくお願いしまーす」

間延びした挨拶をしながら、よれた背広を着た中肉中背の眼鏡男と、老人に片足を突っ込んだようなごま塩頭の男が入ってきた。亜弓はその二人を見た瞬間に「ハズレ」と即断した。この後やることと言えば、適当に酒を飲み、つまらない自慢話を聞き流し、さっさと真弓にデザートを食わせて帰るだけだ。なんとも気抜けした時間である。

ごま塩頭が奥の席にすわり、亜弓の目の前には眼鏡男がどっかりと腰をおろした。

「五十嵐(いがらし)です。よろしく。こちらは、鑑(かがみ)さん」

イガラシと名乗った眼鏡男が、営業スマイルを浮かべながら言った。聞いてもいないのに名乗るのは戦国時代で言うところの、やあやあ我こそは、的なお定まりの第一声であるが、亜弓は男の名前などどうでもよかった。

「真弓です」

真弓が言った。唇は唐揚げの脂でテカテカと光を反射させている。

「亜弓です」

亜弓は言った。それから次の男たちの言葉を予言し、頭の中でなぞるように読み上げた。

「マユミちゃんに、アユミちゃん! ユミちゃんコンビだね〜」

どいつもこいつも、芸がない。相席になる男たちの99%は同じような顔をして同じようなセリフを吐く。日本人のボキャブラリーの貧困化は深刻である。

「会社ではダブルユミって呼ばれてるんです」

真弓が嬉しそうに言って肩を寄せてきた。頬が赤く昂揚し目が潤んでいるのは「ああ、なんて素敵なやぼったい眼鏡なのかしら」とときめいているからではなく、ビールが廻ってきたことに起因している。真弓の目的は男漁りではなく食い漁りだ。うつむいているわけでもないのに顎が二重になっている。

「仲いいんだねー」

眼鏡男がにこやかな笑顔を浮かべていた。左手の薬指にはまった指輪には長い指毛が絡まっており、男がおしぼりて手をふくふりをしてそれをそっと外したのを、亜弓は見逃さなかった。別に、お前が結婚してようが子供が何人いようが愛人囲ってようが余命半年だろうがこっちは毛ほども興味ねーよと激を飛ばしたくなるのをぐっと堪えた。

ごま塩頭の方はあろうことか、刑事のような険しい顔をゴシゴシと拭き始めた。行きつけの焼き鳥屋のカウンターかなにかと勘違いしているのかもしれない。

「お二人は、どういうご関係なんですか?」

再び、コンコンという音と共に個室のドアが開き、あの男性店員がビールを二つ持ってきた。亜弓と目が合うと、にっこりと微笑んだ。亜弓も笑みを返す。大丈夫、わたしはあなただけのものよ。

「僕らは、えーと。まぁ、職場の上司と部下です」

眼鏡男が言った。いきなり何を言い出したのか理解するのに、亜弓は少しの間を要した。

「どんなお仕事されてるんですか」

「当ててみろ。当たったら、千円やろう」

唐突に、ごま塩頭が割り込んできた。何なのだろう。あからさまに見下したような口調には、苛立ちよりも恐怖が先に立った。亜弓は身体が動くに任せてスッと椅子に背をつけて言った。

「い、いえ。結構です」

「あー、ごめんなさい。鑑さん、悪気はないんですよ。よく誤解されちゃうんですけど、まぁ昔からこういうしゃべり方の人なんで。でもホント、悪い人じゃないんですよ。でも僕が言っても聞かないから」

でもでも五月蝿い。亜弓は一刻も早くこの場から立ち去りたくなった。気乗りしない相手と飲む酒ほどマズいものはない。

「当ててみろ。千円、欲しいだろ?」

ごま塩頭がよれた鞄からよれた財布を取り出し、よれた財布からよれた千円札を一枚抜き取ってテーブルに放り投げた。

「あの、いりませんけど」

さすがのおおらかな真弓も気分を害したらしかった。声に怒気を孕ませている。

「まぁまぁ、ただのゲームじゃないですか。楽しい会話の足がかりとして、考えてみてもらえると嬉しいな。ほら、僕たち、どんな仕事をしているように見えます?」

真弓は納得したわけではなさそうだったが、しぶしぶといった空気を全面に出しながら「商社マン」と言った。

「ハズレ。そっちのユミちゃんは?」

「アユミちゃんですよ、鑑さん」

「警備員」

亜弓は投げやりに答えた。眼鏡の方はともかく、ごま塩頭は頭脳労働者には見えなかった。肌はカサカサにひからびていたし、長年に渡って紫外線に晒されてきたと思われる顔はシミだらけ、シワだらけだった。その上、伸びた爪には黒いごみが溜まっていた。ホームレスと言われても十人中十人が納得するだろう。

「ハズレ。ヒントは、公務員」

「うーん、刑事さんとか?」真弓が言った。

「ハズレ」

ごま塩頭が顔を向けたので、亜弓はしかたなく答えた。

「じゃ、教師」

「正解」

ごま塩頭がにやりと嗤った。何が面白いのかわからないが、とにかくその笑顔は亜弓をぞっとさせた。眼鏡男が無理矢理に盛り上げようと「おおー! すごい!」と訳のわからないテンションで手を叩いた。

「ちなみに、僕は数学。鑑さんは体育」と眼鏡男がどうでもいい注釈を入れた。

体育教師だというごま塩頭は薄汚い千円札を亜弓に押しやった。亜弓はそれを一瞥しただけで、触ろうとも思わなかった。

「じゃあ次だ。俺の名前を呼んで好きだと言えば、三千円やる」

真弓が困惑したような顔を向けたので、亜弓も苦笑いを浮かべる。

「あの、わたしたち、そろそろ帰ります」

「まーまー、待ってよ。このゲーム、絶対続けた方が良いから! 絶対後悔させないから、頼むよ。ね? 僕ら、よくこういう店で同じように遊んでるんだけど、女の子たちは絶対、最後には喜んで帰るし。騙されたと思って、ね? 別にきみたちは何も損することなんてないんだし」

真弓が一度浮かせかけた馬鹿でかい尻をどっしりとシートに戻したので、亜弓もしぶしぶ座り直した。

 

「お名前、なんでしたっけ?」亜弓は少なからぬ敵意を込めて言った。

「鑑」

「カガミさん、好き」

「もっと可愛らしく言えねーのか」

「あの」真弓がいきり立った。顎の肉をぶるぶると震わせて「何か勘違いされてるみたいですけど、ここキャバクラとかそういう店じゃないんで。わたしたち、あなたにそんな口聞かれたり命令される筋合いもないんですよ」と言った。

ごま塩頭はつまらなそうに真弓に一瞥をくれただけで、また財布から三千円を取り出し、亜弓の前に放り投げた。そして、真弓に向かって「お前も、言ってみろ」と言った。

「イヤです」

「じゃあ、お前はここでリタイアだな」

「は?」

「次は、コレだ」

ごま塩頭は自分の飲みかけのビールジョッキを亜弓の前に押しやった。

「コイツを一口飲めば、一万円やる」

「一万円」

亜弓はぼんやりと呟いた。目の前には既に四枚の夏目漱石が散らばっている。これだけでネイルサロン一回分の金になる。一万円あれば、給料日まで待たずに欲しかったスカートを買うことが出来る。明日にでも。

気が付くと、亜弓はビールを飲み下していた。

「よし、いいぞ」

ごま塩頭が一万円札を放って寄越した。隣では真弓が信じられない、という表情で亜弓を見ていた。わたしだって信じられないよと言いたかったが、亜弓はふてくされたように口をつぐんだ。

「次だ。そっちのユミちゃんの、嫌いなところを三つ言えば、三万円やる」

 

 

教師と楽しい合コンゲーム

こんな男が教師だなんて、いったい日本の学校はどうなっているのだろう。

しかし、と亜弓は考えた。

もしかしたら、このくだらないゲームを続ければ、結構な額の金が労せず手に入るのかもしれない。この頭のおかしい男に従うフリをするだけで、財布とバッグをグッチで揃えることだって出来るかもしれない。金額は千円、三千円、一万円、三万円とあがってきている。この法則で考えると、次は十万円、その次は三十万円だ。その次は……。

「亜弓、もう帰ろうよ」

真弓が腕を引っ張って立たせようとした。しかし真弓の頭にはすでにグッチの新作バッグを持ってバーバリーのコートをひるがえしながら颯爽と歩く自分の姿がハッキリとイメージされてしまった。もはや、こんなところで諦めることはできない。

「いいわ。やる」亜弓は真弓の太った指を振り払い、その滑稽に膨らんだ顔に向き直った。

「一つ、太っていること。一つ、休み時間のたびに子供の写真を見せつけるところ。一つ、三十路のくせに服の趣味が子供っぽいところ」

真弓はひどく傷ついた顔をしたが、亜弓は後で適当にフォローすればいい、としか思わなかった。文句を言ってきたら、一万円くらいは渡してやっても良い。

「はっはっは。いいだろう」

ごま塩頭は満足そうに笑って、三万円を投げて寄越した。たった十分たらずで、亜弓の目の前に四万四千円が差し出された。

「次、やるか?」

亜弓は無言で頷いた。顔がにやけそうになったが、真弓の手前、笑うわけにはいかなかった。

「もう一人のユミちゃんに、ビンタさせろ。一発殴られるごとに、一万円やろう」

「いいわ。やるよね? 亜弓」

真弓が言った。有無を言わさぬ口調だった。真弓の巨大な肉厚の掌をちらりと見て、少し心配になった。まさか、本気で叩かないよね? 手加減するよね?

そんな意味を込めて目配せをしたが、真弓の小さく冷徹な目からは何の返信も受け取れなかった。亜弓はおそるおそる、肩をすくめながら「やる」と言った瞬間、バチンという音がして視界がぐるりと回転した。続いて高い耳鳴りがして、目の中にチリチリと光の粒が舞った。

首を捻ったのか、正面に向き直ると寝違えた朝のように痛んだ。頬もジンジンしてきた。

「まずは一万」

ごま塩頭が面白そうに言った。眼鏡男はにやにやと下卑た笑みを浮かべている。真弓に向き直って言葉を発しようと口を開いた時、また強烈な一撃をもらった。ビンタというより関取の張り手に近い。

「二万」

「ちょ、ちょっと待っ」

バチン。

「三万」

亜弓の意志とは無関係に、目には涙が浮かんできているのがわかった。痛みによる生理的なものなのか、ただされるがままに殴られている自分への無力感からきたものなのかはわからなかった。

 

バチン「四万」バチン「五万」。

「もう良いわ」真弓が言った。「これで、許してあげる」

ごま塩頭が一万円札を五枚、四万四千円の上に重ねた。少しいたわるような手つきだったのが、余計に腹立たしかった。亜弓は早くも腫れだした頬を撫で、さりげなくこぼれ落ちそうな涙を拭った。

「次だ。今から店員を呼ぶ。店員がドアから顔を出したら、そのビールをかけろ。きちんと、顔に浴びせかけるんだ。そうすれば、十万だ」

亜弓は暴力にさらされて興奮状態の頭を、深呼吸して落ち着けた。それでも、冷静な判断は不可能に思えた。十万円。今度は痛い思いもしなくていい。ただ、あの男性店員にこのジョッキの中身を浴びせるだけだ。少し腕の筋肉を動かすだけで良い。男性店員の小麦色のきれいな肌がフラッシュバックする。なに、大したことではない。きちんと謝れば許してくれるだろうし、ビールがかかるくらい、飲食店で働いているなら我慢すべきだ。またも、グッチのバッグが眼下にちらついた。そして目の前には九万四千の日本円が無造作に積まれている。綺麗に束ねられていない分、その表面積の大きさから額を多めに錯覚しそうだった。

「いい加減にして。もう、帰るよ、亜弓」

真弓は決然と立ち上がった。

「帰りたければ、一人で帰れば。わたしは続けるから」

「だめ、もうやめておいた方がいい。なんだか怖いよ」

「散々なぐってすっきりした? だからもう満足? わたしはまだ満足してない。もう十万円あればあの新作バッグが買えるの」

「満足とかバッグとか、そんな話をしてるんじゃないの。危ないって。もう帰ろう」

 

 

「まぁまぁ、真弓さん」眼鏡男が声を張った。レディース、エーン、ジェントルメンッとマイクを持って登場した司会者のような口ぶりだった。「あと少しで、このゲームもお終いです。それに、危険なことなんて何もありませんよ? 僕たち、さっきも言ったように教師ですから。信頼に値する職業でしょう? なんなら、教員免許をお見せしましょうか」

「ええ、是非」

真弓が憤然と言った。眼鏡男はいかにもやり慣れたふうに、スムーズな動作で財布から一枚のカードを取って差し出した。

亜弓は真弓と共に覗き込んだ。

トップに「教員免許」と書かれており、照合番号、氏名、生年月日、免許有効期限、終了確認申請期限、更新講習受講期間、交付日が明記されていた。きちんと有効期間内だった。五十嵐雅雄、一九七二年四月一日。七桁の照合番号は暗記できそうになかったので、名前と生年月日だけ頭に叩き込んだ。

「カガミさん、のは?」

真弓が水を向けたが、ごま塩頭はそれをすっかり無視した。眼鏡男がすかさずフォローするように「まぁ、僕が保証しますから」と言った。何をどうやって保証するのか全くわからなかったが、亜弓はそんなことよりも気になることを聞いてみた。

「なんでこんなに簡単に、お金をくれるんですか。目的は?」

「目的? そんな大それたもの、ありませんよ。強いて言えば、あなたたちのような魅力的な女性と、食事と会話を楽しみたいだけ。ここに来る男たちとなんら変わりません。このゲームは、まぁ場を盛り上げるためのアクセントというか、あくまでツールのようなものですよ」

「盛り上げるため? そんな理由だけで悪趣味なゲームをやらせて二十万も払うなんて、普通に考えておかしいでしょ」

「ま、金額の話でいえば、僕らにとっては大した額ではないんです。この二十万円も、ああ、気分を害さずに聞いて欲しいんですが、まぁ子供に小遣いをやるようなものでして。教師はたしかに儲からない仕事ですが、僕たちの場合、教師は趣味でやっているだけというか。世間的な信用度も高いですからね。こういう時に便利です。ふふふ。とにかく一生食うに困らないだけの経済的余力はある、ということだけ言っておきましょう」

「とても、お金持ちには見えないけど」

「ああ、これは世を忍ぶ仮の姿ですよ。いかにも金を持っている、という風に着飾るのは、成金ばかりですよ。僕たちは別に、そんなことをする必要もないんです。そしてこの通りの外見ですから、別に無闇に着飾りたいとも思わないわけで」

「とても信じられない」

「信じなくて結構ですよ。しかし、あなたの目の前にあるそのお金は本物です。あなたは目に見えるものだけを信じればいい」

「あなたたちはどうやって、お金を稼いでいるの?」

「それは、あなたのような、失礼、こういった場所に出入りして結婚相手を探すような女性に説明しても、わからないと思いますよ」

「やるのか、やらないのか」ごま塩頭が痺れを切らしたように割り込んだ。

「やめときなって」真弓が止める。しかし力づくで引っ張るつもりはないらしい。教員免許の効力なのか、制止の勢いが減退していた。

「やる」

亜弓は言った。こうなったら、絞れるだけ絞ってやる。そう、この男たちが本当のことを言っているかどうかなんて、どうでもいい。現に目の前には九万四千円が目に見える形で存在しているのだ。それだけで充分。これをお店に持っていけば、グッチのバッグと取り替えることができる。お金は嘘をつかない。

ごま塩頭は口を斜めにして笑うと、オーダータッチパネルで新たにビールを四つ注文した。亜弓は四分の三ほど残ったまま放置してあったビールジョッキの取っ手を握り、その時を待った。

ノック音。「失礼しまーす」

扉が開くと同時に、亜弓はビールを思い切り浴びせかけた。せめて顔を見る前に、目が合う前に、相手の視界を奪いたかった。願わくば、誰がビールを浴びせかけたのかが彼の中であやふやになればいいとさえ思った。

男性店員は驚いて仰け反り、両手に二つずつジョッキを持ったままハデにひっくり返った。ビールは全て床にまき散らされ、グラスも残さず粉々になった。彼は尻餅をついたままの姿勢でビールを顎や髪から滴らせ、顔を拭ってから亜弓を見上げた。何が起きたのかわからない、という純朴な視線だった。目にビールが入ったのか、赤くなった目をゴシゴシと擦った。

「失礼しました」

彼はそう言って立ち上がり、出て行った。ごま塩頭が「すばらしい」と漏らしてさらに十枚の諭吉を札束に重ねた。十九万四千円。

亜弓はハッと我に返り、それを慌てて鞄にしまい込んだ。直後、男性店員がちりとりとほうきを持って戻ってきた。

「すぐに代わりの飲み物をお持ち致します」

そう言って床に散らばったガラス片をせっせとかき集め、ぞうきんを重ねてこぼれたビールをしみ込ませてはバケツに絞るということを繰り返した。亜弓はそのせかせかとした動作と彼のつむじを見下ろしているうちに、一体どうしてこんな男のことを自分と同等だと思ったのか、という考えに駆られはじめた。

「次で最後だ」

ごま塩頭は男性店員など存在しないかのように切り出した。

 

 

Switch

ごま塩頭は片手を鞄に突っ込み、スマートホンを取り出した。そして何度か汚れた指でディスプレイに触れ、テーブルに投げ出した。画面には、赤い円が一つ、表示されているだけだった。

「このボタンを押せば、百万円やろう」

男性店員がぴくりと手を止めて遠慮がちに顔を上げたが、亜弓が睨みつけるとサッと顔を逸らした。ふん、負け犬が。亜弓は唾を吐きかけてやりたくなった。

「なんのボタン?」

「押すだけで、あんたが欲しがっているものが手に入る、夢のようなボタンだ」

ごま塩頭が自慢げに言った。

「わたしの欲しがっているものが何か、あなたにわかるの?」

「俺は知らん。だがこのボタンは知っている」

「意味が分からない」

「わからなくて結構。やるかやらないかは、お前が決めて良い」

そう言って鞄から無造作に白い封筒と一つ取り出し、中から新品の札束を取り出してスマートホンと並べた。男性店員がそれをじいっと見つめていた。

「もう良いですから、下がってもらえますか。飲み物も結構ですから」

眼鏡男がにこやかに、呆然とする男性店員の肩に触れた。店員は怪訝そうに眉を寄せ、眼鏡男とテーブルに置かれた百万円のピン札の束を交互に見た。しかし結局は、なにも言わずにそそくさと去っていった。テーブルの下でいくらか握らされたようだった。

「さあ、どうする」

「やめなって。怪しすぎるよ」真弓は怯えたような表情をしていた。初めて生で目にする現金百万円に怯えているのだ。これだから貧乏人はイヤだ。わたしはあんたとは違う。わたしはこの金で良い服を買って、ネイルして髪も綺麗にカットして、金持ち男を捕まえて上流階級の仲間入りをするわ。広くてお洒落な一戸建てに住んで、子供を英語で育てるの。足が浮腫むばっかりの安物ブランドのアパレル店員の仕事なんて、あっという間に辞めてやるんだから。

「やるわ」

亜弓はボタンを押した。

 

 

一瞬、意識が途切れた。指先に静電気を受けた時のようなぴりりとした感覚が走ったかと思ったら視界が暗転して、今、まったく新しく生まれ変わったような感覚を持て余していた。目の前にはごま塩頭の男がにやにやと下品な笑いを浮かべている。

目の前?

亜弓は不思議に思った。目の前に座っていたのは眼鏡男だったはずだ。それに、なんだか呼吸が苦しい。身体全体が圧迫されている感じがする。ブラジャーが殺人的な強度で胸部を締め付けている。ギクリとした。腹の肉が折り重なっている感覚。一番太っていた高校生の頃、座ると腹が二段になってこういう感覚がした。

手を目の前に差し出すと、そこには醜く膨らんだまぬけな指が見えた。ネイルもしていない。

信じられない気持ちでぺたぺたと顔を触った。ぶよぶよとした柔らかい感触。頬骨は遥か奥に隠され、強く押しても固い感触を確かめることができない。

「え、うそ」隣で自分の声がした。

見ると、眼球がこぼれ落ちんばかりに見開かれた大きな自分の目が、亜弓を凝視していた。その黒目には、先ほどまで自分が蔑視していた醜く太った真弓の、同じく驚いた顔が映っていた。

「ほら。百万円はあんたのものだ」

ごま塩頭が札束を亜弓に差し出した。亜弓というのは、亜弓の身体に、という意味だ。

「ちょ、ちょっと待って。亜弓はわたしよ」亜弓は信じられないほど重い尻をテーブルに捕まりながら持ち上げた。

「何言ってんだ。あんたは、もう一人のユミちゃんだろ」

「マユミちゃんですよ、鑑さん」

「どっちだって良い」と本当にどうでもよさそうに、ごま塩頭はぼりぼりと頭を掻いた。

「そうよ、あんたは真弓。わたしが亜弓よ」亜弓の口を借りて、真弓が言った。きっちりと口紅の塗られたその口元はゆるく笑っていた。

「お金はわたしのもの。代わりに、あなたがずっと欲しがっていた子供も、恋人も、手に入れたじゃない」

 

 

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