逃走

フォンフォンフォン、と唄うような音を上げ、小舟はものすごいスピードで進んだ。動力源はヴァンパイアにしか起動できない乾風(あなじ)という名のエンジンだ。つまり乾風を搭載した船はヴァンパイアにしか操船できない。その知識すら持ち合わせていない多くの人間奴隷たちが、脱走しては港に停泊中の小舟で捉えられ、殺されている事実はもちろん公開されていない。

乾風は人の頭ほどの大きさの球体型で、ブラックホールのような黒色をしている。いや、暗いと言った方が正しいか。どのような素材で構成されている機関なのか不明だが、光源の下で見ても立体に見えないほどに黒い。

「追手は?」

小夜姫(さよひめ)は同船している人間奴隷の一人、ヨウに尋ねた。乾風に触れている右手は、半分同化しているらしく白く小さな手には子供らしくない黒い血管が浮き出ている。一人で乾風を動かし続けるのは、いくら貴族階級のヴァンパイアとは言え、子供には負担が大きいらしい。顔色は紙のように白かった。

「敵船影、レーダー圏内から消失。撒いたようです」

ヨウは元軍人らしくキビキビと返事をした。

「よし。これよりオートハンドに切り替える」

「了解」

レーダーを覗き込んでいた人間奴隷、ヨウはパチパチと操作パネルのスイッチを切り替えた。船の加速度が弛み、身体を圧迫していたGから解放され、ヨウはほうっと息を吐いた。オートハンドに切り替わったことを知らせる青いランプが灯り、小夜姫はずるりと乾風から右手を引き剥がした。血管は元通り皮膚の下に隠れ、見えなくなった。

「三日連続とは……もしかしたら、鬼一(きいち)様が捜索に加わったのでは」ヨウは眉を寄せた。鬼一は占いの才能に恵まれたヴァンパイアであり、夢見(ゆめみ)によって人物の居場所やごく近しい未来の一部を知ることが出来る。そして、小夜姫の兄にあたる。

「いや、兄さまがこんな些末な事件に関わるとは考えにくい。衛星に捕まったんだろう。日中の漁はしばらく控えた方がいいかもしれないな」

「しかし……漁をしなければ我々は生きられません。保存食ももう底をつきました」

小夜姫が人間奴隷三名を伴って国から脱走してから、既に二週間が経過していた。浄化装置があるので水には困らないが、ありあわせの携帯食料では到底間に合わなかったらしい。小夜姫には人間がどれほどの食事を必要とするのかがわからなかったのだ。

「二、三日くらい我慢できんのか?」

「無茶な……既に餓死寸前です」

「全く、人間は燃費が悪くてかなわんな」

とは言え、人間に死なれては小夜姫も長くは生きられない。ふう、とため息を付いた。

「少し休む。日が暮れたらわたしが魚を取ってこよう。お前も休め」

ヨウは深々と頭を下げた。

 

 

島影

小夜姫は約束通り、日没後に海に潜った。船内で誰に気兼ねすることなく服を脱ぎ捨て、未発達の少女特有の柔らかそうな白い身体を、音もなく真っ黒な大海原に滑り込ませた。そのままたっぷり三十分ほど海中を探索し、グロテスクな深海魚を網いっぱいに入れて戻ってきた。

スイは異様に口の大きな、目玉のないヌルヌルした魚を捌き、片っ端から鍋に放り込んだ。長年調理係を担ってきたこともあり、手慣れた包丁さばきだ。ヴァンパイア専用の船のため元々キッチンも調理器具も無かったのだが、ジンと協力して一室をキッチンに改造したらしかった。調理器具は逃亡の際、スイが抱えてきた大風呂敷に入っていたものだ。

小夜姫は深海魚がバラバラにされる様子を不思議そうに眺めていた。

「いつも思うんだが、それはうまいのか?」

「普通のお魚でしたら、味噌汁に入れればそれはもう、美味しいんですよ。でもこれはどうでしょうねぇ」スイは相好を崩した。笑うと少しだぶつき始めた顎が、二重になる。とはいえ、逃亡前よりは少し痩せ始めている。

「これは普通の魚じゃないのか」

「うーん、ちょっと違いますね」

「ちょっとの違いなど、わたしにはわからん」

「ですよねぇ。でも、とにかくおかげ様で飢えずにすみます。ありがとうございます」

「それはお互い様だ。わたしも久々に動いて、腹が減った」

「次はジンの番でしたね」

名前を呼ばれたのが聞こえたのか、味噌汁のにおいにつられたのか、ジンがひょっこりと顔を覗かせた。エンジニア特有の糸のように程長い目を、更に細めている。

「おお、メシか!」

ジンはヨダレを垂れ流しながら、よろよろと駆け寄ってきた。若い男は人間の中でも最も多くの食事を必要とするらしく、わずかな乾いたパンと缶詰しか口に出来ない日々は、ジンを精神的にも肉体的にも追いつめたらしかった。元はシャンとした理知的な若者だったが、今は薬物中毒者のような風貌になりはてている。

「小夜姫様がわざわざ、取ってきて下さったのよ」

「ありがとうございます、ありがとうございます」

「礼はいい。代わりに、今日はわたしにも少し食事をさせてもらう」

「ええ、ええ、喜んで。お好きなだけ召し上がって下せえ」

痩せて筋の浮いた毛むくじゃらの手首をサッと差し出した。目は茹だった鍋に釘付けだ。

「お前の食事の後で良い。ヨウはどこだ?」

「そういえば、今日は見てませんねぇ。操縦室じゃないですか?」スイはのんびりした口調で言いながら、鍋に飛びこみそうな勢いのジンを手で牽制した。

「呼んでこよう」小夜姫は立ち上がった。

 

 

操縦室は船の心臓部だ。居心地にプライオリティを置いた他の部屋とは異なり、無機質で直接的で機能的だった。中心に乾風(あなじ)があり、前面はモニターやら操縦桿やらが配置されている。小夜姫は背筋を真っすぐに伸ばして椅子に座り、ヘッドホンをしてモニターを覗き込む男に声をかけた。

「メシができたぞ」

ヨウはサッと振り、小夜姫の姿を認めると素早く立ち上がった。

「小夜姫様。いま、ちょうどお呼びしようと思っていたところです」

「何か見つけたのか?」

「ええ、島影です。地図にすら載っていません。このとおり、レーダーには何も映らないのですが、望遠レンズで視認しました。夜明けまでには、肉眼で目視可能な距離まで近づけると思います。進路を変更しますか?」

「無論だ。なんのために国を捨てたと思っている」

こくり、とヨウは頷いた。

 

楽園

島は無人だった。日光の元で暮らせないヴァンパイアが南国の島でバカンスしているはずはなかったのでそちらの心配はなかったが、人間の先住民がいると厄介だと考えていた小夜姫にとって、それは幸運だった。島には中央付近に二つの山があり、清浄な小川があり、小さな澄んだ湖があり、秘密めいた湾まであった。

山には様々な種類の動植物が群生しており、豚、魚、山菜、果物、キノコ、なんでもあった。さらに不思議な磁場があるらしく、島の半径十キロ四方ではレーダーが効かない。船は洞窟に隠したので、衛星に捕捉される心配もない。

島に漂着して三ヵ月が経過していたが、追手は影も形もない。

 

 

「小夜姫様、ヨウです」

ヨウは松明をかざした。湿った洞窟の一番奥に、薄い板を雑に組み立てた棺桶がぽつりと、むき出しで置かれている。山の壁面にできたその小さな洞窟は奥行きがなく、傾いだ陽差は棺桶の手前すれすれまで達する。小夜姫にとっては苦痛だろう。しかし他に手頃な洞窟や日光を確実に避けられるポイントはないのだった。

カコッと軽い音で棺桶の蓋が落ちた。むくりと身体を起こしたヴァンパイアの少女は、薄汚れて悪臭を放つ貴族の服を身につけ、長い髪はぼさぼさに絡まっていた。

「ああ、来たか」

虚ろな眸をして、小夜姫は言った。ヨウはその変貌に少なからず心を痛めていた。

「……また、スイとジンは来なかったのですか?」

小夜姫は返事をしなかった。この島にいる限り、ヨウたち人間は奴隷だった頃よりもはるかにいい暮らしを実現できた。好きなものをお腹いっぱい食べ、好きなだけ遊び、好きなだけ眠り、好きなだけ性交できる。監視も懲罰も強制もない。

そして最も恐れていた追手も、漸次、意識から薄れ始めていた。彼らにとって、自分たちの血を吸うだけの小夜姫はすでに無用の長物であった。しかし、これまで世話になっておいて、それはないだろうとヨウは反発した。三人の中で最も体力があり頭も切れるヨウは暗黙的なリーダーであり、スイとジンは表立って反発したりはしなかった。

ヨウは小夜姫への血液の供給は、これまで通り当番制で継続するよう約束させた。しかし、その約束が果たされていないのは小夜姫の姿を見れば一目瞭然だった。

「さあ、とにかく召し上がって下さい」

ヨウは手首を小刀で浅く切り、小夜姫の口元に近づけた。小夜姫は小さな冷たい手でそっとヨウの手首をつかみ、かさかさにひび割れた唇をつけた。

「すまんな」

一分ほど、時間を掛けてゆっくりと血を舐めていた小夜姫は、赤い舌で唇を舐めてから、ぼそりと呟いた。ヨウは気付かないうちにぐらりと傾いていた身体を戻し、頭を振った。少し血を失い過ぎたようだった。先ほどまでは何でも無かった洞窟が、薄ら寒く感じる。

「そんな……当然のことです。国を出る時、我々四人は約束したではありませんか」

小夜姫はわずかに口を開けてぼんやりとヨウを見上げた。それから、ふと思い出したように口角を上げ、「約束、ね」と言った。

「そうです。人間もヴァンパイアもない、貴族も奴隷もない、平等な関係性。個の自由意志。我々はそれを国で、いや、世界で初めて、実現しようとしているのです」

「ヨウ、わたしはずっと理解できなかった。父さまや兄さまが人間たちに辛く当たり、執拗なまでに搾取し、容赦なく制裁する姿を、深く嫌悪していた。だってそうだろう? 人間は、わたしたちを生かしてくれる唯一の存在だ。そしてわたしたちは元々人間から分化した亜種であり、同じように言葉をしゃべり、同じように音楽に心打たれ、同じように恋をする。なぜ、もっとうまく共存しようとしないのか。家族や友人に接するようにしないのか。ヴァンパイアは物理的、肉体的な強さにあぐらをかき、安易な『支配』を選択した。そしてそれは間違いだと思っていた」

小夜姫はよろりと立ち上がった。みすぼらしい棺桶を跨ぎ、裸足で洞窟のゴツゴツした岩の上を歩いた。ヨウは後ろから付いていった。

「ヴァンパイアは人間なしには生きられない。人間はヴァンパイアなしでも生きられるが、力ではヴァンパイアに敵わない」

洞窟の外に出ると、満天の星空が夜を明るく照らしていた。今日は月が大きい、とヨウは思った。

「ヴァンパイアは人間に酷いことをした。それは自らの優位を守るための自己保身だと思っていた。だからわたしはヴァンパイアを嫌悪した。個人の裁量で可能な範囲で、救える人間たちを救った。彼らはわたしに礼を言い、わたしの話し相手になってくれた。友となってくれた」

ヨウは少女のほっそりした後ろ姿を眺めた。少女はボロ切れのようになった服をスルスルと脱ぎ、静かな小川に裸足のつま先を浸した。

「わたしは人間と、友として生きられると信じた。そして、お前たちが付いてきてくれた。わたしたちは自由意志に基づいて、この島で生きることにした。依存もなく、支配もない世界。わたしがずっと夢に見ていた世界」

小夜姫はゆるゆると流れる小川の真ん中まで進み、振り向いた。腰まで水に浸かっている。白い腰にぶつかった流れはキラキラと月光を反射しながら、滑らかな曲線を描いて少女を通り過ぎていく。

「間違いではなかった。やはり、世界はこんなにも美しい」

小夜姫は少女らしく微笑んだ。ヨウは唇を食いしばった。

「小夜姫様。オレの家に来てください。共に暮らしましょう」

小夜姫は首を横に振った。

「お前一人の血では、わたしを生かすことはできない。今も、フラフラではないか」

「オレは大丈夫です」

「わたしは三人の友の協力がなければ生きられない。お前の家で暮らしたところで、先は見えている。お前は死に、わたしも死ぬ。わたしは友を殺したくない」

「あいつらにも、血を提供するよう説得します」

「お前のことだ。それは既にやっているんだろう?」

ヨウは言葉に詰まった。

「支配や強制は望まない。そんなことをして生き延びて、何になる? 国に居た時と何が違う? この楽園のような島で、自由意志に基づき、人間とヴァンパイアが暮らしている。それでいいじゃないか。これがわたしの寿命なのだ」

小夜姫は肩まで水に浸かり、黒い髪を丁寧に解いた。清浄な水で顔を洗い、髪を洗った。ヨウは小川の淵に腰をおろし、その様子を眺めた。

「ヴァンパイアにも色々いるように、人間にも個々の性格があり、考え方があり、信念がある。わたしは誰のものも、等しく尊重している」

「わたしはあなたを失いたくない」

「いつかは、全て失われる。わたしも、お前も、スイもジンも。早いか遅いか、それだけの問題だ」小夜姫は髪の水滴を払い、裸のままヨウの前まで歩み寄った。小夜姫の歩いた跡は、丸い小石が濡れて黒く光った。

「そんなことよりも、ひとつ、頼みがある」

「なんでしょう」

「わたしは妊娠している」

ヨウは顔を顰めた。ジンの細い、卑しい目が脳裏をよぎった。

「あいつ、まさか……」

「いい。耐え難いほどの苦痛ではなかったしな」ヨウは鹿の毛皮をなめして作った服を差し出したが、小夜姫はまたもそれを受け取らず、ボロボロの悪臭を放つ服を身につけた。「わたしが死んだら、この子の面倒を頼みたい。考えたが、ジンとスイにはやはり頼めない。お前なら、わたしにしてくれたように愛情と敬意を持って、この子に接してくれるだろう」

「ヴァンパイアと人間の子供」ヨウは呆然と呟いた。そんな前例は聞いたことが無い。どのように育てれば良いのかもわからなかった。

「名前は暁(あかつき)。わたしが憧れつづけた、光の名前だ」

 

 

 

 

 

「ヨウ! 見てくれよ、この大鹿。やっと仕留めたんだ」

暁は自分の背丈と同じくらいの鹿の後ろ足を担ぎ、小屋に向かって駆けてきた。赤く昂揚した顔には、満面の笑みが浮いている。

「すごいな、大物じゃないか。今日はご馳走だな」

ヨウは相好を崩し、息を整えながら得意げに笑う少年の頭を撫でた。暁は十歳になっていた。

「しかし、あまり遠出するなよ。迷ったら、日が暮れる前に戻って来れなくなるぞ」

「自分の庭で迷うわけないだろ。ヨウは心配性だな。それより、残りを運ぶの、手伝ってくれよ」

 

 

久々の獣肉ということで、暁は鼻歌を口ずさむほどの上機嫌ぶりだった。鹿肉にレモンを絞り、香草に包んで燻したスイ直伝の料理だ。

「うんまーい!」暁は一つ目をぺろりと平らげ、二つ目にむしゃぶりついた。焚き火がぬるい風に揺られると、その横顔に小夜姫の面影を濃く浮き立たせた。本当に、よく似ている。ジンの顔をした子供だったら嫌だなというのが正直なところだったし、そんな子供をうまく愛せる自信もなかった。母親似で良かった、とヨウはしみじみ思った。

「誰も盗らないから、ゆっくり食べなさい」

暁は人間の血を必要としなかったし、日光の下でも平然と駆け回った。しかしその肌はいくら日に当たっても焼けることなく、小夜姫や他のヴァンパイア同様、まっ白なままだった。そしてもう一つ、暁には人間とは桁違いの怪力を持っていた。頭もよく、三歳になるころにはヨウとほとんど大人同士がするような会話が可能だった。

「でもやっぱ、もっとレパートリーが欲しいなぁ。ねえ、ヨウ。もっとスイにいろんな料理教えてもらえばいいのに、なんでこんなに遠くに住んでるの? スイとジンはずっと前から一緒に暮らしてるんだろ?」

ヨウはいつも通り、型にはまった返事を返す。「こっちの方が獣が多いから、狩りに便利なんだよ。オレは果物や魚より、肉の方が好きなんだ」

「ふーん。じゃあ別に、仲が悪いってわけじゃないんだ?」

「もちろんだ。オレたちはうまくやっている。こうして、時々料理を教えてもらったり、逆にこちらから罠の作り方を教えてやったりする」

暁は少しの間、チラチラと揺れる炎を大きな双眸に灯したまま肉を咀嚼し、それを飲み下してから静かな口調で尋ねた。

「なあ、ハハオヤって何か知ってる?」

ヨウは驚いて身体をびくりと硬直させた。

「誰に聞いたんだ?」

「スイ。最近太ったねって言ったら、太ったんじゃない、ハハオヤになるんだって言われた」

「なるほど」

好奇心旺盛な暁が、時折ジンたちの家に出入りしているのは知っていた。そしてヨウもそれを止めようとは思わなかった。自由意志。それが、小夜姫が何より尊重したものだったし、子供と言えど、それを侵害されてはならないと考えていた。

しかし。ヨウは長いため息を付いた。久しく会っていなかったが、まさかあの歳で妊娠とは。

「ハハオヤというのは、女の親のことだ。子供は、女の親の腹から生まれてくる」

「じゃあ、オレの母親もスイなの?」

「違う。お前の母親は、別の女だ」

「この島に、女はスイしかいないだろ」

「昔は、もう一人いたんだ」

「死んだの?」

「ああ」

「病気?」

「そんなようなものだ」

ふうん、と鼻を鳴らし、暁は三つ目の肉を掴んだ。

「オレ、自分がどこからやって来たのかずっと気になってたんだ。なあ、さっき女の親って言ったけど、男の親もいるの?」

「ああ。女と男のつがいで、子供を作る。豚や鹿と同じだ」

「人間も、豚や鹿と同じ」

「……そうだ」

「オレの男の親は、ヨウなの?」

「……」

ヨウは考えた。そうだと嘘を付くのは簡単だ。ジンも知らない事実なので、ヨウがずっと黙っていれば、暁の生誕の経緯が明るみに出ることはない。しかし、暁には真実を知る権利がある。事実は事実として伝え、それをどう受け取るかを暁に選択させるべきではないだろうか。何を伝え、何を伝えないかを自分が取捨選択する権限など、ヨウには無いように思えた。父親がジンだと正直に伝えたら、今、ヨウと二人で暮らしている説明をしなければならない。そうなれば、母親がなぜ子供をヨウに託したのか、なぜ母親が死んだのかを伝えることになる。

「もうすぐ、ジンとスイの子供が生まれる。そうなれば、お前も直に気が付くだろう。自分がその子と違うことを。それに、オレもいつまで生きているかなんてわからない」

「いきなり、何言ってるんだ?」

「お前の父親は、ジンだ。オレではない」

ヨウは小夜姫と四人で国から逃げ出したこと、小夜姫が死んだ理由、自分が暁を育てることになった経緯、暁がヴァンパイアと人間の混血であること、だから肌の色や力の強さは、人間とは異なっていることを包み隠さず説明した。

暁は冷静だった。いくつか質問をし、ヨウの話を恐るべき無駄の無さで理解した。

 

 

空が白み始め、水平線の向こうから太陽が顔を覗かせた。

「これが、暁。お前の名前だ。小夜姫様はずっと、この景色に憧れていたそうだ」

ヨウはすっかり白くなった髪を、風になびかせている。真っ黒に焼けた棒のような足を柔らかい砂浜に投げ出し、手を後ろについている。

「すっげー、きれいー!」

まだ五歳になったばかりのココは、砂で不格好な小山を作っていたが、その手を止めてキラキラした目を眩しそうに細めた。目を細めた顔は、ジンと驚くほど似ている。

「ヴァンパイアは、日の光を見られない」

暁は太陽の欠片をまっすぐに見据えて、言った。

「そうだ」

「ばんぱいあってなーに?」

ココは首を傾けた。まだうまく頭の重さを支えられないのか、ぐらりと身体ごと傾く。ヨウはココが倒れないようにそっと手で支えてやった。

「人間とは、異なる生き物だ」暁はきっぱりと言い切った。「豚や鹿が異なる生き物であるのと同じように、人間とヴァンパイアもまた、別の生き物なんだ」

ヨウは黙ったまま、朝日が世界を明るく照らす様に見入った。

「ばんぱいあ、みたい」

ココはぺたりとヨウの胸に飛び込んだ。ヨウは少し困ったように笑って、その頭を撫でてやった。暁は冷たい目で幼児のふっくらとした手がヨウの白髪を掴んでいる様を見下ろした。ヨウはココの頭を撫でる手に力を込めた。

「暁、見ているか。世界はこんなにも美しい」

「……ああ。しかし、美しくないものもある。それは事実だ。毛並みの美しい健康な鹿もいれば、角の欠けた貧相な鹿もいる」

「その通りだ。オレもそう思う」

「ヨウ、あんたが全てを正直に話してくれたことに、オレは今でも感謝している。嘘をつこうと思えばどうだって言えたし、黙っていることだって出来た。でも、あんたは事実をオレに伝えてくれた。オレの自由意志を尊重し、オレに過去を受け止める自由を与えてくれた。だから、オレもあんたには嘘や隠し事はしない。

あんたが死ぬまで、オレは今ある『美しい世界』とやらの中で生きよう。しかし、あんたが死んだら、オレは『けじめ』をつけてこの島を出る」

ヨウは「そうか」と言った。聞きようによっては、寂しそうにも聞こえたかもしれない。

「ココ。お前にはまだ理解できないかもしれないが、お前は今、選択しなければならない。タイミングというのは、お前に良いように巡ってくるわけではないのだ」暁はそう言って、ヨウの胸に張り付いている幼子をひっぺがし、正面から見据えた。

「オレは、お前の父親と母親を殺さなければならない。ヨウが死んだら、それは実行される。そうなれば、お前はこの島でひとりぼっちになる。島からの脱出手段である船は、オレがいなければ動かすことは出来ない。オレはお前の両親を殺したら、すぐに船で島を出る。お前はどうしたい?」

ココは口を半開きにしたまま目をぱちくりさせた。暁の口調が怖いのか、身体は強張っている。助けを求めるように、ヨウにすがりついた。しかし暁は細い肩をつかみ、それを許さなかった。

「一人でここに残るか、オレと一緒に来るか。いま、選べ」

「やー!」ココはじたばたと暴れ、泣き出した。

ヨウはそっと、暁のまっ白な手に小枝のようなカサカサした手を重ねた。暁が手を離すと、ココは暁に背をむけてヨウの胸に顔を埋めた。

「もう少し、待てないか」ヨウは言った。

「オレはもう充分に待った。こいつは悪くない。悪いのは、こいつの両親だ。だからオレはこいつに選択権をやった。放棄したのはこいつ自身だ。こいつの、自由意志だろう」

ヨウは何か言いたげに口を開こうとして、閉じた。

「そして、助けるか助けないかを決めるのは、オレだ。こいつの両親が小夜姫を自由意志に基づいて見捨てたように、オレがあいつらの子供を見捨てるのも、また自由意志だ」

暁はもうすっかり全形を表した太陽を見据え、力強く言った。

「支配もなく、依存もない。全てが自由意志のもとに行われる。しかし、そんなものとは関係なく、世界はもともと美しい。美しく見えないのであれば、それは見るものの目が曇っているからだ」

乾風” への2件のフィードバック

  1. こんばんは矢戸です。ブログに載っている分までは続けます。
    言葉の話はさんざん言ったからいいでしょう。物語の中身に関して。

    (偉そうな)総評:3.5/5.0

    面白い点:

    1.小夜姫が言った自由意志=「テーマ性の追求」が良い。
    2.乾風(あなじ)の設定が良い。ヴァンパイアしか使えないエンジン。燃える。
    3.鬼一や小夜姫、ヨウ、ジンのキャラ設定。スイが女だと気づくのに時間がかかった。
    4.島影での小夜姫の漁描写。最近のヴァンパイアは漁をしないから、新鮮。

    残念な点・納得できない点:

    1.ヴァンパイアなのに人間より早く死ぬ事。自由意志だ。仕方ない。
    2.バッドエンドに近い終わり方。遺言だから仕方ない。悲しい。
    3.タイトルが乾風(あなじ)なのに、後半で乾風を活かせていない事。
    4.敵に追われる理由・追ってこない理由が提示されていない。
    5.最初の情景描写(場所の叙述)ない事。海の上だと思うが、さきまで読まないと混乱する。最初のシーンはやっぱり難しい。

    個人的な点:

    別タイトル付けるなら。
    普通に、「暁が昇る頃、この世界は美しい」くらいにしてもよさそうですけど。
    カタカナなら「ロマンス・ドーン」(完全にワンピース)
    ラノベ風なら「美少女吸血鬼と逃走し一緒に無人島生活したら、友人にNTRされた件」……ダメだな。雰囲気が台無しだ。

    内容に関して。
    物議をかもす内容だが、思いついたので書きます。ヨウの立場になってみれば、スイ・ジン、小夜姫のどっちも死んでほしくない。でもどっちしか取れないなら、私なら小夜姫を生かす為に「スイ・ジン」を始末して献上する。小夜姫に絶対的に嫌われるだろうが、「裏切り者に死を」みたいな発想。それやったらホラーテイストになっちゃいますけどね。

    別の方法。外部またはから血を持ってくる方法を考える。人間奴隷を何とかしてヴァンパイアと同じ状態に持っていき(いわゆる吸血鬼化)、乾風(あなじ)を使って外部から血を調達できる。小夜姫は絶対に了承しないと思うが。

    また無人島自体を調べる事もできる。豊富な食事ができる時点で無人島には「何か」いそうですけどね。蟲とか。巨人とか。

    どっちの方法も小夜姫の自由意志に反する方法だが、「上の2つの方法を取るのも自由意志だよね!」と言ってしまえ、元の木阿弥。

    ヨウ「あなたが自分の自由意志を貫くなら、私は私の自由意志を貫くつもりだ。それは小夜姫――あなたを生かす事だから」

    みたいな。
    今日はこの辺で失礼いたします。

    1. >矢戸だいはちさん
      コメントありがとうございます。
      「美少女吸血鬼と逃走し一緒に無人島生活したら、友人にNTRされた件」 →これ結構好きです(笑)

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