【ネタバレ】史上最強の胸糞映画「ファニーゲーム」が傑作すぎる件

カテゴリー 小説・シナリオ半熟セミナ
  • 悪いことは言わん、止めとけ。
  • 胸糞映画だけど傑作。
  • ミスト以上のショック
  • 一見の価値があるキチガイ映画。
  • こんな映画初めて見た……

という感じの前評判を聞いて、かなり期待して観たんですが、、いやぁ、完璧やられましたね。完全に期待値を超えてきましたよ。あとで落ち着いてからあらためて見直しましたが、やはりどう見てもマジキチです。

 

驚くべきことに、これほど「残酷だ」「むごい」「ひどい」バイオレンス映画だと言われながら、実は直接的な暴力描写のシーンは一つもありません。射殺の場面で撃たれて脳漿が飛び散ったり、内蔵がこぼれ落ちたり、動物が殺されたりすることもありません。音だけとか、映っているのは発砲する側の姿だけです。

 

まぁそれが逆に怖いんですけどね〜妙にリアルというか。”見せてもらえない” ことで、観客は想像しちゃうんですよ。「この音って、もしかして……」みたいな。で、期待する。「実は悪者をやっつけたんじゃないか?」みたいに。でもそういう期待はことごとく裏切られます。ああぁぁぁぁあああ

 

 

まちがいなく名作。でもトラウマ映画

わたしが思うに、この映画の名作たる由縁は圧倒的な「作り手の悪意」にあります。

ひたすら理不尽で、リアルで、ただただ観ている人(観客)を傷つけてやろう、ショックを与えてやろう、的な。でもその「怖さ」が病み付きになるんですよねぇ。

勧善懲悪みたいな、ある種の “プロトタイプ” にいい加減飽き飽きしている一部の観客には、最高の作品だと思います。物語の “型” というか “暗黙の了解” みたいなものを完全に逸脱した、というより「そんなものはリアルじゃない、虚構だ。めちゃくちゃに踏みにじってやる」みたいな作り手の意図が透けて見える。そして、たしかにメチャメチャリアルなんですよ。でも一方で、完全な「虚構(映画)」でもあるんです。

 

なんかこの映画はモナリザ的な魅力がありますね。つまり錯覚です。

モナリザは近くでみると口元は真っすぐ結ばれているんですが、遠くから見ると輪郭や頬の微妙な陰影で目の錯覚が起きて、微笑んで見えます。これはもちろんダ・ヴィンチの綿密な計算に基づいています。

オスカー・ワイルドは「あらゆる快楽は錯覚から生まれる」と言いましたが、全くその通りですね。

 

以下、完全ネタバレなので先に映画を楽しみたい方はコチラをどうぞ。

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【完全ネタバレ注意】あらすじ

①青年たちの登場

父、母、息子の三人家族+ペットの犬が湖畔の別荘でバカンスを楽しんでいました。そこに、白のシャツ、白の手袋をはめた二人の青年が訪ねてきます。最初、別荘にいるのは家事をしていた奥さんだけ。

彼らは隣家に頼まれたと言い「卵を分けてくれませんか?」とお願いしてきます。最初は礼儀正しかった彼らですが、少しずつ態度が悪くなっていきます。ケータイをシンクに水没させたり、せっかくあげた卵を割って「割れちゃったのでもう一回下さい、四つです。明日、買い出しに行くんなら良いでしょ?」とか言ってきます。卵をさらに四つ渡すと青年は一度出て行きます。

奥さんが青年たちの図々しさに呆れ返ってタバコを吸っていると、今度は「犬が吠えたせいでまた落として割ってしまった」と戻ってきます。

 

②犬の殺害と旦那の足の骨折

青年の一人が、玄関に置いてあったゴルフクラブを見て「すごい高級クラブだ!ちょっとだけ貸してくれ、お願い」と無邪気に頼んできます。奥さんはドン引きしながら了承し、青年はゴルフボールを一つとクラブを持って出て行きます。残った方の青年は、また「卵を四つください」と言ってきます。

ここでようやく奥さんが「いい加減にして!」とキレます。やっとかよって感じなんですが、ここにヨットを組み立ててた旦那と子供が戻って来て、奥さんと青年がもめているのを仲裁しようとします。ゴルフクラブを持って行った青年も戻ってきます。奥さんはうんざりした様子で残った卵を全部渡して部屋を出て行きます。

残された旦那さんが、青年の失礼な態度に我慢できずビンタをします。すると青年はゴルフクラブで旦那の足をぶっ叩きます。旦那の足が折れます。

驚いた奥さんが戻ってくると、青年は「先に暴力をふるったのはそっちだ、そっちが悪い」と理不尽なことを言います。さらにナゾナゾだといってゴルフボールをポケットから取り出します。「なぜ僕はゴルフボールをまだ持っているのでしょう? 正解は、別のものを打ったから

非常に不気味な演出ですが、ここで犬がすでに殺されていることがわかります。奥さんは青年たちの見ている前で犬の死骸を探して庭を歩き回り、車のトランクにそれを見つけます。

 

③ゲームの開始

むちゃくちゃ理不尽な青年たちですが、この段階ではまだ旦那さんが歩けないだけで、奥さんと息子は縛られているわけでもありません。青年たちに銃を突きつけられているわけでもない。それなのに、一家は文句一つ言わずに「お願いだから出てって」とか「金はやるからもうやめてくれ」とか言い始めます。

青年たちはそれらを無視して「12時間後にあんたたちが生きてるかどうか、賭けをしよう」とゲームを持ちかけます。もう一人の青年が、「そりゃ賭けになってないぜ」と言います。そう、(後ほど明らかになりますが)彼らは圧倒的な力を持っているので一家が死ぬことは避けられないのです。

さらに、青年はカメラ目線で「あなたならどっちに賭けます?」と話しかけてきたりします。この段階で「アレ? いまこっち(観客)に話しかけた?」みたいな違和感。そして、何事もなかったかのようにストーリーは進行し、奥さんに服を脱げと要求したり、誰から殺そうかと相談したりと、青年たちの横暴も段々とエスカレートしていきます。

 

④子供が銃殺

最悪なことに、最初に子供が殺されます。と言っても、頭が吹き飛ぶ瞬間とか、そういう血なまぐさいシーンは一切ありません。「腹が減った」と青年の一人が冷蔵庫をごそごそやってる映像に、争う音声と銃声が乗るだけです。このとき視聴者は、もしかしたら青年を一人やっつけたかも、と期待するのですが、冷蔵庫を漁っていた青年と一緒にカメラが居間に戻ると、血しぶきで真っ赤になった壁とテレビ、そして床に転がった子供の足、呆然と座り込む奥さん、ソファーの陰から出た旦那の足、という状態。。。

うそでしょ、子供が最初に死ぬの?」と。まさかの展開でした。

 

⑤青年たちの退出と再訪

キッチンから戻って来た青年は「馬鹿野郎、殺す順番を間違えやがって。つまらん」と相方を怒り、なんやかんや言い合った後、二人は「チャオ! クラブを貸してくれてありがとう」と言って出て行きます。

奥さんは手足を縛られた状態でヨロヨロと立ち上がり、テーブルの角でテープを切ろうとします。ここで旦那さんの足が動き、「あ、旦那さん生きてたんだ」とわかります。奥さんは大声で泣き叫んだり子供の死体に駆け寄ったりしません。すすり泣きながらキッチンでテープを切り、旦那さんを支えながら「奴らが戻ってくるかもしれないからここから逃げなきゃ」と言います。

旦那さんは全然歩けず、「一人で逃げろ」と言います。「愛してるわ」的なやり取りをして、奥さんは一人、助けを求めて飛び出します。この辺はお決まりですね。残った旦那さんは水没した携帯を乾かして警察に電話しようとしますが、バッテリーが切れて断念。最悪です。

次に、旦那さんが子供の死体にシーツを被せているときに物音が聞こえます。

視聴者も旦那さんも「ん?奥さんが戻ってきた?」と期待するのですが、そこにゴルフボールが転がってくる。続いて青年が姿を現し、猿ぐつわをされた奥さんも。。もうぜんぜん救いがないわけです。何もかもが上手くいかない。全部失敗しちゃってます。神に見放されたヘタレ加減です。

 

⑥脅威の「巻き戻し再生」と旦那の死

再び、今度はまったく身動きのとれない夫婦を前に、青年たちは「小さなナイフで死ぬか、大きな銃で死ぬか、どっちがいい?」と聞きます。そして、奥さんに祈りを唱えさせて「今のは練習だ。短すぎてつまらないから、本番は逆から唱えろ。一度も間違えずに、だ。成功したら、好きな方を選ばせてやる」と言います。超理不尽です。選ばせてやると言いながら、そこには少しも自由がありません。どっちにしろ殺されるのです。もうやだ。

ここで奥さんが反撃に出ます。すばやい動きでテーブルに置かれたショットガンで青年の一人を撃ち殺します。すると残った青年が「なんてこった!リモコンはどこだ?」とソファークッションを捲ります。

視聴者的には「???」って感じなのですが、青年はリモコンを手に取ると、「巻き戻し」ボタンを押します。すると映像がキュルキュルッと巻き戻って、奥さんに祈りを唱えさせるシーンが開始されます。「え、何コレ。そんなんアリっすか?」って思って見てると、案の定、奥さんがテーブルに置かれたショットガンを手にしたところで、今度は青年がすばやく奥さんを取り押さえます。結局、その流れで旦那さんが殺されます。

 

⑦奥さんの死と伏線の回収

両手を縛られた奥さんと二人の青年がヨットに乗り込むシーン。

青年の一人がこの映画の核心である「虚構と現実」について語ります。「虚構が現実のように見えれば、それは現実になる」と。これはつまり、映画を見ている観客(私たち)は、映画の中で “現実であるかのように描かれるウソの暴力” を “現実” のように考えている、と主張しているのです。

そして、奥さんがあっけなく縛られたまま湖に落とされます。

直前に虚構と現実の話を聞いているにもかかわらず、観客はここでまた、ショックを受けるんですね。つまり、最後は奥さんがナイフで縄を切って助かるとか、青年たちに反撃するとかそういう「お決まりのどんでん返し的展開」を心のどこかで期待しているわけです。

でも、実際はあっさりとナイフを取り上げられ、あっさりと湖に落とされてしまう。。。

 

ファニーゲームに隠されたメッセージとは

この映画をみてイライラしたという人がたくさんいます。それはつまり、定型的な筋書きからはみ出したものを見たために、落ち着かない気分になっているということだと思います。

映画の前半では家族は縛られてもいないし、逃げようと思えば逃げられる。青年たちをやっつけようと思えばやっつけられるわけです。「なぜあの時逃げなかったのか?」「ここでこうやって反撃すれば二人ともやっつけられたじゃないか」「車に戻れば壊れていない携帯があるのに、なぜ取りに行かないんだ!」みたいに、見ていてイライラするわけです。

しかし、家族は一貫して無抵抗です。そして、あの問題の「巻き戻し」シーン。つまり、青年はどうなってもやり直しが出来ると言う、虚構の世界の中では暗黙のうちに “タブー” とされている「それできちゃったら何でもアリになっちゃうじゃん」という能力を発揮するんです。

こうして見事に、「暴力は圧倒的であり、理不尽である」というファニーゲームのメッセージが表現されたのです。

 

なぜ、このような惨たらしい映画を作ったのか?

 

(ハネケ監督インタビューより抜粋)

  • 「憤慨させる為に作った」
  • 「暴力は撲滅できないものであり、痛みと他人への冒涜であることを伝えたい。だから、暴力を単なる見せ物ではなく、見終わった後に暴力の意味を再認識するものとして描かなければならない」
  • 「ハリウッド映画は暴力を快楽の道具につかっている」という監督の言葉とそれらに対するアンチテーゼと言う明確な意図がわかり、暴力とは何かということについて考えさせられる映画。暴力を見せることで暴力の恐さを否応なく見せつけれられた。

なるほど。納得です。

この映画の観客に対するメッセージは「暴力とは、理不尽で、後味が悪く、他人を踏みにじる行為だ」ってことです。

 

ファニーゲームを見終わって、「現実の暴力には理由なんてないのかも」って思いました。

私たちは普段、「本物の暴力」を目の当たりにすることはほとんどありません。

普通に生きていたら、殺人現場に居合わせたり、戦争にかり出されて人を殺したり、殴り合いの喧嘩を目の当たりにすることもありません。牛が牛肉になる過程をナマで見ることすらありません。リアルな「暴力」や「死」は文明社会に置いて、”適切に” 隠蔽されています。

 

一方で、私たちが日常的に接することのできる虚構(小説や映画)の世界での「暴力」には、きちんと役割分担だったり理由が用意されています。犯人は実は子供の頃にアルコール中毒の父親に虐待されていたとか、実は犯人が先の被害者で大切な人を奪われた復讐だったとか、家族を守るために仕方なく人を殺したとか。そこにプラスαとして「あっと驚くどんでん返し」が美しく添えられていることもあります。

ミステリでは天網恢々(てんもうかいかい)というラストが非常に多い。悪事は露見し、トリックは破たんするというルールがよく守られています。役割には「正義」と「悪」があり、ほとんどの場合「正義」が「悪」をやっつけます。その証拠に、多くのハリウッド映画は「ドラゴン(悪)との戦い、そして処女との結婚」というお定まりの展開が元になっています。

 

つまり、現実は見事に隠蔽され、虚構の美しい「暴力」を日常的に見せられている私たちは、暴力を英雄的なものと誤解しがちってことです。ハネケ監督は、その誤解への警鐘としてこの「ファニーゲーム」という映画を作ったのだと思います。いやぁ、名作でした。深いわぁ〜

 

原作とハリウッドリメイク版がありますが、どちらもストーリー、カメラワークまではほぼ同じです。なので、わたしはリメイク版をおススメします。単純に映像(と俳優)が綺麗な方、という意味でw オリジナルが好きな方はオリジナル版をどうぞ!

 

p.s.

創作というのはつくづく奥深いですね。表現者の意図によって、あらゆるメッセージを含ませることができる。そして、だからこそ面白い。さて、わたしも自分の小説を書き進めたいと思います。

【ネタバレ】史上最強の胸糞映画「ファニーゲーム」が傑作すぎる件” への4件のフィードバック

  1. きっしょい下手糞な文章…クソつまんねー記事…才能ないから死ねよガイジ

    1. あなたも、人のことを指摘できるほど美しい文章ではありませんよ。あと指図すんな。

  2. とっても分かりやすい文章で読みやすかったです(⌒▽⌒)
    ファニーゲームを見た後で色々とモヤモヤしてたのですが、この記事を読んで少しスッキリしました。

  3. 凡百の映画の一つとしか評価の余地がありません。
    暴力の英雄的側面の実在を批判をしてることを知って呆れました。
    作り手は人類の歴史を知らないのでしょうか

    この類いの映画に本来あるべき家族側の積極的抵抗を排除しただけの低レベルなシナリオ、それで英雄的暴力のアンチテーゼだと言うのだから滑稽だ。
    そもそもメッセージに対して内容に瑕疵があり破綻している。

    通常、大衆暴力映画や暴力ゲームは暴力をその背景によって峻別している。
    見境なく暴力を快楽に置き換えているわけではない。
    暴力には不条理もあれば正義もありそれを弁えて描写している。
    このことはこの映画自体にそもそも自明であり、作り手曰くのメッセージに矛盾する。
    理論的にはこの映画が伝えることに成功しているのは、現実の不条理な暴力が持つ不条理さでしかない。
    贔屓目に観ても、残虐シーンを直接描写しないことで、暴力の活劇的快楽へのアンチテーゼになっている程度のものだ。
    もっとも想像させることで観客の脳裏に映像が浮かぶわけで、本質的には残虐の映像的快楽をスプラッターものとは別の手段で具現化しているに過ぎないという見方もできるかもしれない。

    本来あるべき積極的抵抗という英雄的暴力がオミットされたことによる不快さは、英雄的暴力の更なる正当化と渇望を観るものに掻き立てる。
    作品のメッセージの瑕疵が、意図したものと対極のメッセージを受け手に与えうる間抜けさを孕んでいるのは論理的に明確である。

    アジア植民地の独立、連合国の民主革命による民主化、奴隷解放
    これらは紛れもなく積極的抵抗という暴力によって人類が勝ち取った自由と権利であり、この構図に、ある種のカタルシス的なものを感じることを、頭ごなしに非難することがそもそもおかしい。
    だいたい合衆国たるアメリカではジョンロックの抵抗権という英雄的暴力が憲法に明記されているのだが,,,それ故の銃社会なわけで

    残念ながら下劣な暴力と英雄的暴力の分別ができず暴力を一色単に悪だと直結させる短絡さこそ、現実における暴力への無知からなる権威主義的虚構に過ぎない。
    平和ボケも甚だしい、国際平和も逆説的な抑止論によりなりたっているというのに。
    英雄的暴力を否定したが最後、あの家族と同じ末路を辿るだけだ。

    監督の社会的造詣の浅さと偏狭がそのまま作品に反映されており極めてチープで薄っぺらい印象が拭えない。
    そこそこ面白いので駄作とは思わないが、お約束を愚直に無視するところなどは、あまりに安直で奇をてらった感が露呈している。

    圧倒的に中身がない。
    なんか世の中、暴力シーンのある活劇映画とかゲーム多くね??暴力賛美なんじゃね?暴力の快楽に浸ってね?
    実は世の中のこと何も知らないけど現実の暴力はえぐいからぁドヤ
    この作品には、これ以上の意図や社会的考察がない、あまりにメッセージが浅薄。
    現代社会を高度に戯画化し深遠な問題提起をする映画は他にいくらでもある。

    映画では観客は多くの事情を知りながら、そのシナリオには一切干渉を許されない。
    そしてあのチキンな親父も足を折られ精神薄弱なためほとんど何も抵抗できない。
    観客にもっとも近い存在といえ、観るものが感情移入しやすいように創られている。
    明らかに観客を不愉快にするための仕掛けとなっている。
    そもそも、この作品は積極的抵抗があまりにない故に、子供が死ぬあたりで助かる見込みがないことも観客をもどかしくさせようとしていることもある程度、予測できてしまう。

    文明社会において暴力が隠蔽されているなんてとんでもない。
    日々、TVやネット、新聞などあらゆるメディアを通じて、不条理な暴力の事跡は大衆の心に深く刻まれている。
    社会に無関心な人間は例外なのかもしれないが、子供の頃に観た光市母子殺害事件などはいまだに、心に深く刻まれているし、犯罪史を少し閲覧すれば女子高生コンクリ詰め事件、台湾アイドル惨殺事件、拉致事件、テロ、毒殺も暴力に加えれるなら、森永ヒ素ミルク、カネミ油症事件なども不条理の極みだろう、最近だと新幹線の東大卒殺人なんかはイライラする事件だが、この映画の数百倍鬱になる暴力の不条理は常に目の前に、うんざりするほど転がっている。
    現実の暴力の不条理は、映画的な虚構では到底語ることはできない。
    現実の不条理は、この映画のような娯楽にはならないし、事実として、この映画より遥に不愉快だ。
    実際にあったこととして知る不快さは、嘘として観る不快さが到底至れぬ暗澹さを持つ。

    現実の不条理を知っているからこそ、英雄的暴力を虚構に求めたくなることもあるのであって、見境のない暴力に耽溺している人などほとんどいない。
    完全に観客を舐めた傲り高ぶりの産物だ。

    この監督だかシナリオ作った人だかに受ける印象はまず老害であるということ、頑迷で社会への無知と無知の知の欠如、傲岸不遜さだ。
    恐らく若い世代ではない

    若者を憎悪の対象としているのも差し詰、暴力映画や暴力ゲームに耽溺するありもしないステロタイプな若者のメタファーなんだろと思わされる
    時代についていけなくなった権威主義の老害のルサンチマンを疑う

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