「一生懸命やってるのになぁ……」とため息つくのは、自分に不誠実な人です。
あなたの周りに、いつも他人のことを気にしたり、後悔している人はいませんか?
例えば。
- 夫の親が認知症を発症した。徘徊が始まっていて、いつ呼ばれてもおかしくない。呼ばれたら行かなきゃ。お世話になったし。
- 息子の嫁と夫が喧嘩した。間に入って仲直りさせたけど、激しく疲れた。
- 孫は可愛いけど、毎日夜泣きや食事、下の世話をするのに疲れた。
- 息子が中学の頃いじめられていたのに気付いてやれなかったのを後悔してる。あの時気付いていれば、あの子ももっと違った人生を歩んでいたかもしれないのに。
実はこれ、わたしの母親が漏らしていたこと。3時間ほど愚痴を聞いていたんですが、出てくる出てくる。。。息子夫婦は無事自立していてもう解決済みの問題なんですが、ずっと「いかに大変だったか」「苦労した」「疲れた」という話を延々と繰り返していました。
「じゃあ、彼らも出て行ったし、もう悩まされずに済むね。良かったね」と言うと、「でも大変だったのよ、私が買い物に行くときもうんちゃらかんちゃら」という感じ。挙げ句の果てには、起こってもいない「もし地震が起きたら」「もしあなたが暴漢に襲われたら」という話をする。
母に限らず、あなたの周りにも同じような人がいるのではないでしょうか。
彼ら彼女らは、いつも自分が「一生懸命、けなげにがんばっている被害者」であることを望んでいます。被害者でいる限り、責任を負わなくて良いからです。自分の人生が望んだものと違っているのは、自分ではなく他人のせい、環境のせい、運が悪かったせいだと、自分を正当化しているのです。そうして自分を守っている。
だから、口ではいくらイヤだと言っていても、本心では「自分が不自由で不幸で苦労する状況」を望んでいるんです。その証拠に、色んなことから解放されて、自由になった、以前よりも状況は良くなったはずなのに、不幸だった過去を壊れたラジオみたいに繰り返し何度も何度も再生して、「良いこと」には目を向けようとしない。すごくわかりやすいです。
人は見たいと思うものしか見えません。
「不幸な自分」にばかり目がいく人は、間違いなく、「不幸であること」を望んでいます。
しかし、それは逃避です。
私にもこういう時期があったので気持ちはわかります。自信がない人ほど、逃避するしかありません。しかし逃避すればするほど、自信も能力も失われていきます。悪循環です。断言しますが、逃げるのをやめない限り、絶対に幸福は訪れません。
別に私は、逃げてはいけないとかは思いませんし言うつもりもありません。マトモに戦って死んでしまうより、ちょっと逃げて、戻ってくる方が良いに決まっています。
しかし、ずっと、死ぬまで逃げ続けるのは辛いと思うんです。私はその時期、すごく辛かった。毎日何もやる気が起きず、何のために生きているのかわからない。何を食べても美味しくないし、大好きな映画やお笑い番組を見ても笑えないし、小説を読んでも何も感じない(というか集中して読むことができない)。
本心から、自分の人生を変えたいと望むのなら、まずは逃避をやめなければいけません。絶対に。そして、自分で望んで、自分で変わるしかない。「今の、自分が望んでいない人生」は自分の行いの結果であることを受け入れ、行動を起こす覚悟を決めなければならない。
母は言いました。
「私はもう若くないんだから、そんなの無理。あなたは若いからそんなことが言えるのよ。わたしは結婚してからずっと働いてないし、何も出来ない。家で一人、趣味の絵描きをやるくらいしかない」
わたしは言い返しました。
「若い? 認知症の祖父母から見たら、あなただって若いでしょ。時間もあるし、ちゃんと動く健康な体もある。家だってある。子供も孫もいる。お金だってわたしより持ってる。今から好きなことを勉強してもいいし、ビジネスを始めても良い。やろうと思えば、何も出来ないなんてことは無い」
しかし、母はもう一度、「あなたは若いから、そう言うのよ」と言いました。つまり、変わりたくないと。不幸なままが良いと。もう疲れたと。
本人がそう言うなら、私にできることはもう何もありません。人は結局、自分で変わるしかないし、他人が人を変えることなんてできない。私も、母を救えるとか思い上がったりはしません。私は母に幸せになってもらいたいので、とても悲しいですが、仕方がありません。
私にできることは、私が幸せになることだけ。
でも、私が幸せそうにしている姿を母に見せることで、きっと母も幸せになると信じています。そして、伝われば良いなと思います。
あなたの娘は、きちんと幸せになりました。だからあなたも、幸せになっていいんですよと。
p.s.
今回はとても私的な内容になってしまいましたが。この記事をわたしの母のような人が読んで、少しでも前に進むためのエネルギーを受取ってもらえれば、物書きとして、こんなに幸せなことはありません。