人ごみが嫌い。満員電車は死ぬほど嫌い。

飲み会に誘われるのは正直迷惑。

冠婚葬祭とかこの世からなくなれば良いと思ってる。

3人以上での会話でパニックになる。

人に話したい事も、人から聞きたい事もない。

上辺だけの会話が大嫌い。

「おしゃべり」って、時間の無駄のことでしょ。

携帯電話に通話機能とか必要ないんですが。

私はそんな感じの人間なので、ずっと自分のことを人間嫌いだと自覚していました。サラリーマン時代の周囲からの評価もそんな感じだったと思います。「気難しい」とか「変わり者」とか。

でも、いつものように「伊集院光の深夜の馬鹿力」というラジオを聞きながらランニングしていて、気付いたんです。全人類、分け隔てなく嫌いなわけじゃない!と。

ラジオで伊集院光さんの話を聞くのは、むしろ好きなんですよ。伊集院さんは当然「人」です。同じように、素晴らしい小説を書く「新世界より」の貴志祐介先生や、素晴らしい漫画を描く「進撃の巨人」の諫山創先生、「ワンピース」の尾田栄一郎先生、数々の名作映画を生んだスティーブン・スピルバーグ監督、プロブロガーのイケダハヤトさん。挙げていくとキリがないんですが、私にも、好きな人はいっぱいいるんです。

でも、著名な芸術家や作家、フリーランスで生きてる自由人が、ラッシュ時に満員電車に押し込まれているわけがないんですよね。絶対数が少ないですから、道を歩いていて遭遇する確率は天文学的に低い数値です。つまり、ほとんどがサラリーマンか主婦か子供か、その何十年後かの未来の姿の老人なんですよね。

そりゃ普通に生活してたら「自分の周りは嫌いな人ばかり。自分は人間嫌いなのかもしれない」と思うよなー。

普段の生活圏に「好きな人」がいないだけ

そう。人間嫌いなんじゃなく、単に物理的に接する事ができる範囲に「好きな人」がいないだけだったんです。

これは個人的な話ですが、私の「好き!」はイコール「尊敬できる」です。それ以外ありません。ぶっちゃけ尊敬できない人をどうやって好きになれば良いのかわかりません。私は「私が憧れる生き方」をしている人を尊敬します。なので、素晴らしい作品(小説、漫画、映画、ドラマ、音楽、なんでも)を生み出したり、自由に幸せに生きている人が好きなんです。

 

そう考えると、サラリーマン時代に、会社に好きな人がいなかったのは当たり前だなーと。そりゃ話したい事も聞きたい事もないだろうと。聞いても意味がないし、全く共感もできないし。あ、別にサラリーマンという仕事に価値がないとか、そんな生き方は間違っているとか馬鹿にしているとかではないです。そもそも考え方(目指す生き方)が全く異なる、という話です。

私の場合、両親についても同じです。はっきり言って、私は両親を尊敬していません。会えば好き放題に愚痴をこぼすくせに、何の行動も起こさない。「誰がここまで育ててやったと思っているんだ」と押し付けがましく感謝を要求してくる。周りの目を気にして自分を押し殺し、その鬱憤を子供である私にぶつけてくる。あ、同じような被害に合って困っている方は、一度心を鬼にして、はっきり言ってみると良いですよ。「私はアナタのゲロ袋じゃない」と。私の両親は、それで一発でした。以来、ベタベタして来ません。なにより、言った自分がすごくスッキリしますw

 

人は似た者同士でコミュニティを作るもの。サラリーマンはサラリーマン同士、主婦は主婦同士、社長は社長同士、政治家は政治家同士、芸術家は芸術家同士でつるむんですよね。サラリーマンだった私の周りに、サラリーマンしか寄ってこないのは当たり前っちゃ当たり前の話かもしれません。

ちなみに会社を辞めた今、好きとか嫌い以前に、誰とも話す機会なんかないんですが、愚痴やつまらない自慢話を聞かされたり、聞かれたくない事を根掘り葉掘り質問されたりするくらいなら、一人の方が百万倍良いです。実感として。変な友人ならいない方がマシ、不要な人間関係ならない方がマシです。

さいごに

好きな人、つまり「尊敬できる人」とは、是非お話ししてみたいです。それに、こうしてブログを書いているのも、同じ価値観で生きている人、同じ考え方の人が読んでくれていると思うからです。このブログがきっかけで、「尊敬できる人」と関係を築くことができたら最高です。

……少なくとも、この記事のタイトルで読んでくれている人は、結構気が合うんじゃないかな。とか、勝手に思っています。