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【夜と霧】「生きる屍」になってしまった実感の正体、一日が一週間より長い理由、”強制される” ということ【心理学】

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前回(↓)の続きです。

【会社行きたくない】読み終えたら辛すぎる人生がマシに思える率100%!夜と霧に学ぶ “強制される” ということ【心理学】

人としての最後の自由「与えられた環境でいかにふるまうか?」

人間の魂は結局、環境によっていやおうなく規定されてしまうのでしょうか。

ほとんどの被収容者は、風前の灯火のような命を長らえさせるという一点に神経を集中せざるをえなかった。

出典:夜と霧 新版

極限状態ともいえるアウシュビッツ強制収容所のような状況下では、一本のタバコのために仲間を売ったり、死人の靴を盗むというような、いわゆる「一般的な被収容者の行動」は、本当にほかにどうしようもなかったと言えるのか? という疑問です。

この疑問について、著者は明確な答えを出しています。

アウシュビッツでさえ、ほんの一握りだったにせよ、なけなしのパンを譲っていた英雄的な人々が存在した。

出典:夜と霧 新版

典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。

出典:夜と霧 新版

著者ヴィクトール・E・フランクルも述べている通り、アウシュビッツほどの極限状態においても、英雄的な人々は存在したようです。

すごいですね。

わたしは気持ちも性格も考え方も、環境に大きく左右されて変わってしまうタイプなので、おそらく醜悪な環境下に置いては真っ先に醜悪な人間に変貌する気がします、、、

いい人間になるためにはいい環境に身を置くのが一番手っ取り早いというのは全然間違いじゃないと思いますが、環境が悪化した時には、環境に逆らってでも自分の中の人としての尊厳を守れるような人間になりたいですね。

可能だということだけでも、この本から学べてよかったです。

わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ

ドフトエフスキー

極限状態ではじめてたどり着く、究極にして最高の「愛」

そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生まれてはじめて骨身にしみたのだ。愛が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。

(中略)

人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。

出典:夜と霧 新版

辛い時ってなかなかどうして、「愛」を忘れがちになりますね。

本当に辛い時、あなたも大好きな人、大切な人の顔を思い浮かべてみてください。

「生きる屍」になった実感の正体 = 未来の喪失

わたしは会社勤めしていた最後の頃は、四六時中、自分が死んでいるような、まさに「生きる屍」になってしまったように感じていました。

毎日同じ時間に起きて、同じ電車に乗り、同じ会社に行き、同じような人たちと同じような仕事をこなし、同じ時間に帰って同じような映画を見て、、、みたいな。なんだか生きてる実感がないというか、このままダラダラ延々とこの生活が続いていくのかなぁーなんて思ってすごい暗い気持ちになったりして。

この暗い気持ち、すごく深い絶望感というかなにか大切なものを見失っているような喪失感みたいなものの正体について、深く考えたことがなかった(そんな気力もなかったw)のですが、本書を読んでちょっと通ずるところがあるなと思ったので紹介します。

元被収容者についての報告や体験記はどれも、被収容者の心にもっとも重くのしかかっていたのは、どれほど長く強制収容所に入っていなければならないのかまるでわからないことだった、としている。

(中略)

それは未定で、実際、無期限であっただけでなく、どこまでも無制限に引き延ばされるたぐいのものだった。

出典:夜と霧 新版

暫定的なありようがいつ終わるか見通しがつかない人間は、目的をもって生きることができない。(中略)

精神の崩壊現象が始まるのだ。

これは、別の人生の諸相においてもすでにおなじみで、似たような心理的状況は、たとえば失業などでも起こりうる。失業者の場合もありようが暫定的になり、ある意味、未来や未来の目的を見据えて生きることができなくなるからだ。(中略)

出典:夜と霧 新版

ポイントは、「暫定的なありよう」です。

個人的な話で申し訳ないのですが、私は会社勤めしていた当時、別でやりたいこと(小説家になりたい!)がありまして。ちょっと意味が違うかもしれないけど、「会社勤めしてる自分」って私にとっては「暫定的なありよう」だったんですよ。とりあえず、すぐに小説家として食ってけないから会社で「暫定的に」働いてる、という感じでした。

でも、小説家になりたいって気持ちばかりが先に立って、実際は仕事しながら物語を書きすすめたり新人賞に応募したりというのは難しくて。本末転倒だなぁと思いながらも、まぁどうすることもできずに悶々としてるうちに、焦りと自分なんかには無理なんじゃないかっていう絶望感ばかりが強くなっていって、だんだん小説も書かなくなって、仕事して疲れて帰って寝る、休日もなにもする気が起きない、みたいな生活になって、、、

「暫定的なありよう」がいつ終わるのか全く見通しが立たない状態になっていたんですね。書かなきゃこの暫定状態が解除されないってのは当たり前なんですが、それ以上に、たとえ小説を書き上げても「終わり」ってわけじゃないということにすごく苦しみまして。

「終わり」、すなわち、作家として食ってけるようになる日(=会社を辞める日)って、いつなの?と。まったく見通しが立たない状態でした。

目的も見失って、精神の崩壊現象が始まっていたと思われます。

一日が一週間より長い理由

精神の崩壊現象が始まるとどうなるか。コレです。

たとえば、一日のようなわりと小さな時間単位が、まさに無限に続くかと思われる。しかも一日は、権力をかさにきたいやがらせにびっしりと埋め尽くされているのだ。ところが、もう少し大きな時間単位、たとえば週となると、判で捺したような日々の連続なのに、薄気味悪いほどすみやかに過ぎ去るように感じられた。わたしが、収容所の一日は一週間より長い、というと、収容所仲間は一様にうなずいてくれたものだ。

これ、共感できる人も結構多いんじゃないでしょうか。時間感覚がゆがんでくるんですね。心理学的には、「内的時間」とか「経験的時間」と呼ぶそうです。

学校、会社、なんでもいいですが、一日はめっちゃくちゃ長いのに、一週間はあっという間という感覚ですね。

トーマス・マンの『魔の山』に記された、心理学的に見ても正鵠(せいこく)を射た観察だ。この小説は、心理学的に収容所と似通った状況に立たされた人間、すなわち退院の期日もわからない、「未来を失った」、未来の目的に向けられていない存在として便々と過ごす結核療養所の患者の精神的な変化を描いたものである。

出典:夜と霧 新版

終わっちゃった人。「目的なんてない」から堕落する

人間として破綻した人の強制収容所における内面生活は、追憶をこととするようになる。未来の目的によりどころをもたないからだ。

出典:夜と霧 新版

ついには節操を失い、堕落することにつながった。なにしろ「目的なんてない」からだ。このような人間は、過酷きわまる外的条件が人間の内的成長を促すことがある、ということを忘れている。(中略)

こういうことの前では過去の生活にしがみついて心を閉ざしていた方が得策だと考えるのだ。このような人間に成長は望めない。

出典:夜と霧 新版

未来の目的を持たない人は、過去にしがみつく。

いわゆる “終わった人” ですね。「あー、この人はもう成長する気とかも全然ないんだなぁ」って感じの人。口を開けば若かった頃の武勇伝ばかりで、新しいことにものすごい拒絶反応を示すような。

実はこれ自分で書いてて耳の痛い話でして。私自身もこういう時期がなかったといえば嘘になりますし、会社勤めしていた頃はこういう人、会社にたくさんいました。

あなたの周りにもいるのではないでしょうか。

あ、誤解のないように言っておきますが、 “終わった人” といってもみんながみんな、つまらない人間のまま死んでいくとは全然思っていません(もちろんそういう人もいますけど)。

変わるも変わらないも自分次第かなと。新しい未来の目的を見つけて歩き出せば、人はいつだって人生に輝きを取り戻せるというのが、いろいろ経験から学んだ私の考えです。何がきっかけで誰がどう変わるかなんて、全然わからないよね!と。

編集後記:あなたは自由だし、全ては自分で選択できる

軽めのトーンで書き始めた記事でしたが、本書から線引いたところを引用してるうちにすごく重くなっちゃいました。

でもアレですね。平和な日本で普通に生きてると、「ブラック企業で給料安い上に残業ばっか」とか「生きるために嫌でも仕事は続けなければいけない」とか色々と ”強いられている” ような気分になりますが、実際は全然 ”強制” ではないですよね。

会社辞めたら誰かが殺しにくるわけじゃないし、熱出して有休取ろうとしたら殴られるとかもない。寒かったら靴も服もあるし、水も食べ物もそこら中に溢れてる。

全ては自分で選択できるということに、気付かされました。視界が広がる感じです。

私たちには、会社が嫌で死にそうなら辞めて別の会社に移るなり、フリーランスになってがんばるなり、起業するなり、金持ちと結婚するなり、色々と自分で試行錯誤しながら選択していける自由があります。

これって、忘れがちですがすごく恵まれたことなんだなぁと。当たり前のことを言ってみたり、、、なんかして(遠い目)

長々と書いちゃってすみません。みなさんのくら〜い気持ちが少しでも明るくなったなら幸いです。

それでは!

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