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50代60代で自分のことしか考えられない人は、寂しい感じがする

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どうも、白戸です。

今日はちょっと重めのテーマ。

何のために働き、何のために生きるか? のひとつの答え。

まだ私が会社勤めしていた頃の話ですが、尊敬する先輩(以下、Sさんと呼称します)がおっしゃっていた言葉です。

20代は自分のため、

30代は家族のため、

40代は会社のため、

50代は国のため、

60代は世界のため、に働く。

会話の流れはちょっと覚えてないのですが、たしか客先に向かう途中の電車の中とかで、Sさんに対して「私は自分のことでいっぱいいっぱいで、人に何かしてあげたいとか、そういう余裕というか感情が不思議なほど湧いてきません」と、ついポロッとクソ発言をしっちゃったことがありまして。

その時は、やっべー見損なわれるって焦ったのですが、Sさんは笑うでもなく大まじめに「20代はそれで良いと思うよ。僕もそうだったし」と。むしろ20代で「世界をよくするために〜」と謳ってる人は歴史上稀にみる大天才か、偽善者のどちらかだと、と。白戸さんは正直で良いと思うよー、と。

と、いうことで本題に入ります。

50代、60代になっても自分のことしか考えられない人って、寂しいと思うんですよ。「寂しい」というか「つまんない」というか。

他人から尊敬されるされないの話は置いておくとしても、「自分が良ければそれで良い」みたいな生き方って、おそらく自分でも飽きてくるんじゃないかなぁと。

20代は「自分のため」に働く。30代は、、、?

私は今日で31歳になったのですが(!)、やはりいま考えても、20代は実力も実績も金も守りたいものも何にも持ってないので、生きるために必死になる、で全然間違ってないと思うんですよ。

でも、30代になると、少し人生に余裕が出てくる。私は結婚もしてないし会社も28歳で辞めちゃったので、順当な人生を送ってる方とはまた話も違ってくるかもしれんですが。。

仕事では「カネを稼ぐ力」が身についてきます。実力面でも、スキルが身についてきて1人で出来ることが増えてくる。

少なくとも、20代のころに感じていたような「自分は何もできない…」みたいな無力感は減ってくるわけです。で、自分に自信が持てるようになってくる。(20代で自信がないのは当たり前なので、全然悩んだり鬱になる必要なかったなぁと、いまは思うw)

もらえるお金も増えて仕事も上手に手抜き、、、常に全力投球ではなく、力を入れるポイントが分かってくるという意味です。で、手抜きができるようになり、時間的にも余裕が生まれます。

「自分のために」にそこまで必死になる必要がなくなってくるので、これまで全力投球していた分、自分が身につけたスキルや人脈を自分が生きるためだけに使うには「余ってくる」とでも言いますか。

余裕が生まれると「そういえば自分がこれで良いけど、周りはどうなってるんだろう?」と自然と周囲のことが気になり始めます。

ここでようやく、自分の「外」に目がいくようになってくるのかなぁと。

結婚している人だったら「家族のため、子供のため」に生きる、働く、となるでしょうし。

30代で独身(かつ結婚する気もサラサラない)であれば、「”生活のため”の仕事ではなく、自分が面白いと思った人と一緒に(もしくはその人のために)面白い仕事をしたい」欲が出てくると思います。

「自分が生きるため」がちょっとレベルアップして、「自分が生きるために仕事はする。でも、その仕事が世の中のため人のためになって、誰かに喜んでもらえたらもっと楽しいだろうなぁ」という具合に。

この余力を使って、自分が尊敬したり応援したりしたい誰かのために、何かしてあげたいな、と。

50代60代で「自分が良ければそれで良い」って、さみしくね?

この延長線で考えた時に、50代60代になっても「自分が生きる為に必死」とか「自分が良ければそれで良い」っていう生き方って、ちょっとさみしいと思うんですよね。なんか、、、それ良い加減に飽きませんか? みたいな。

自分が50代60代になった時を想像してもらいたいんですけど、

・結婚してなくて家族も子供もいない(もしくは子供は自立しててもう自分の手を離れてる)

・会社にも所属してない(もしくは所属してるけど実際にカネを生む仕事は現場の若い子がやってるから自分が居なくても会社は回るよねぶっちゃけ、って思いながら管理職をしてる)

・貯金もスキル(もしくは実績)もそれなりにある

・それなりの生活水準で、病気とか怪我とかしなければ100歳くらいまで普通に生きられる

だと仮定します。

この時、50代60代になった自分がエネルギーを注ぐ「対象」を「外」に持っていないと、50代60代になっても「自分が自分が」って言ってる寂しい人になっちゃうと思うんですよ。趣味のゴルフにハマってます、とか。

別に、余裕が生まれて趣味に走ることを否定してるわけじゃないですよ。それはそれで良いと思うんです。けど、「自分が楽しむための趣味」だけだと、つまんないと思うんですよね。はたから見てても、つまんない人だなと思うし。

自分が死んでも消えないもの

人生も後半に差し掛かったなら、嫌でも死を意識し始めると思うんですよね。

その時きっと、自分が死んじゃったら「自分が自分のために」やってきた全てのこと(仕事も家もゴルフも)のことも自分と一緒に消えて無くなるわけです。そう考えると、なんか虚しいというか。さみしいというか。

ここで、「だから子供が欲しい」「自分が死んでも子供がその子供を産んで自分という存在は彼らの中に生き続けるんだ」という人もいますが、私にはあんまりピンときません。

確かに遺伝子情報は引き継がれていくかもしれませんが、だから何なの?っていうか。。。別に人間なんて70億人以上いるんだし、「自分のDNA」にそれほどこだわる必要はないんじゃないでしょうか、と。DNAに意志はないので、子孫のDNAを介して自分が子孫の体を操れるわけじゃないですし、墓参りしてもらえるのだってせいぜいひ孫くらいまでだし。

それより、国や世界に目を向けて、国のために何ができるか、世界のために何ができるかって考えて行動できる人の方が、たぶん楽しいと思うんですよね。

自分が死んでも「国」は残るし、「世界」を”地球”という意味で考えれば途中で隕石が落ちて消滅とかしなければ太陽が寿命を迎える63億年後までは残ると思うし、”人類”という意味で捉えれば、別の銀河系に旅立ってもっと長いあいだ存続するかもしれません。

だから、歴史に名を刻めとまでは言いませんが、「自分」とか「家族」とかいう内向きではなく、「国」「世界」という外向きにエネルギーを注ぐほうが、夢がある、と私なんかは思うわけです。

「自分以外に大切なもの、自分よりも大切にできるもの」。。。だと”子供”になっちゃうので、そうじゃなく、かつ「それを成し遂げる為に自分がエネルギーを注ぐ必要があるもの」があると、充実した人生後半戦が送れるような気がします。

なんて。誕生日だからって、ちょっと色々考えちゃった今日この頃でした。

それでは!

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