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出された問題を解く作業を、「考える」とは言えない。

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どうも、白戸です。

今日は「考える」ことについて考えてみます。

ITコンサルタントだった頃より、配送のバイトをやっている今の方が頭を使ってるという現実。

最近、考えることが減っている、と、気がついてゾッとしました。最期にものを考えたのは、二週間前の配送のアルバイトで「荷物をどういう順番で積み込むのが効率的か」ということ。

配送アルバイトの面接のとき、面接官のおじさんに

「配送の仕事って、これができなかったらもうあとは空き缶を拾うくらいしか仕事がないって言われてるくらい、簡単だから。きみは早稲田でてるし、プログラミングもできるし、そっち(頭)は全く心配してないよ。むしろ勿体ないくらいだよHAHAHA」

と言われましたが、とんでもない。こんなに頭を使ったのは何年(もしかしたら何十年)ぶりだろう、というレベルです。

配送センターに出勤すると、荷物はエリアごとに仕分けられています(荷物が多すぎたり人手が足りかったりすると、配送する人たちが仕分けることもある)。私は、自分の担当の荷物を自分の車に積み込んで、伝票を剥がして、ルートを決めて、あとは配って戻ってくる、の繰り返しなのですが、この最初の「積み込む」作業が結構難しい。

めちゃくちゃに積み込むと、家の前に着いて、いざ荷物を取り出すときにどれかわからなくなります。ひとつ運ぶごとに、荷台を引っ掻き回す羽目になり、これはめちゃくちゃ時間効率が悪い。だから、一番いいのは運ぶ順に、手前から積み込んでおくこと。そうすれば、家の前に着いてすぐに荷台を開けて手前からすっと取り出して、お届けすることができます。

最初の積み込みが一番重要なのです。

しかし、運ぶ順というのは、すべての荷物を積み終わって伝票をルート順に並び替えるまでわからないのです。積み込む荷物の数は100個ほど。大小様々な段ボールが100個、「これ、今日の君の担当分ね」と山のように積んであります。もちろん、ルート順にもなっていません。

車の荷台に積む際、「X丁目Y番はこのへん、X丁目Z番はこのへん」と積んでいくのが一般的ですが、積んでいくうちに、荷物が大きすぎて置く場所が限定されたり、時間指定のものや再配達のものなど別のカテゴリを優先すべきケースなどもあり、なかなかスマートにはいかないというのが現状です。他にも、X丁目Y番とX丁目Z番が地図上隣接しているからといっても、道が時間で通行禁止だったり渋滞ゾーンだったりでX丁目Y番の次は、A番を回って、Z番に行った方が早い、などのケースもあります。

初心者のうちは、積む段階で地図も頭に入っていないし、伝票を剥がし忘れたりルートが最適化できなかったりと、全然できないのです。

私などは、初心者向けの簡単なエリアを任せてもらっても、せいぜい一日に80個くらいしか配れないのですが、ベテランの方だと200個を超えたりします。そのベテランの方は、東大生が聞いたら卒倒するレベルの低俗な会話が大好きですが、バカだと思ったことは一度もありません。

考えることが減った。その原因は、考えてないから。

考えることが減ったというのは、考える「内容(中身)」が減ったという意味でもあり、考える「機会」が減ったという意味でもあります。

このブログを更新するときは、ちょびっとは頭を使うこともある、というくらいでしょうか。うーん、でも、記事にもよりけりか。

ちなみに、なんかのレビューとか、HOW TO系の記事は全然頭使ってません。情報を集めてきて整理して羅列し、最期にジョークとかを混ぜて装飾する。以上おしまい。

そういう記事の方がアクセスが集まりやすいので、仕方なく書いているだけ。しかし、これが続くと最初は書きたくて書いていたはずの楽しかったブログ更新が、だんだん「作業」に成り下がります。アクセスが集まりやすいから、などと言い出したらこれはもう末期で、ほとんどブログ更新が「苦痛」になってくる。もう面倒臭いし、手に入るお金も「割に合わない」と感じるようになる。

だからこうして、一筆書き(下書きなし、事前の情報収集もなし)の記事をたまに書くことにしています。すると、ブログ自体を辞めずに済む。「うん、久ぶりに書くと、やっぱり面白いな」「自分はこんなことをこんな風に考えていたのか」みたいな新鮮さや、新たな発見があったりします。

ちなみに、私は、前職(ITコンサルタント、実態はシステムエンジニア)でももちろん大学でも、「考える」という作業を、全然、全く、してきませんでした。

コンサルタントって頭脳労働者じゃねーの? 考えることでお金をもらってんじゃないの? と怒りをあらわにする方も多いと思いますが、それはどの職業でもそうであるように、本当に職業に見合った働きをしているのはほんの一握りだけ。

実態はシステムエンジニアと書きましたが、システムエンジニアでも、自分で死ぬほど考えてプログラムを組んでいる人もいます。ただ、私はそうでなく、そういう人が書いたものをコピーしてちょっと加工したり、ネットで探してきたコードをコピーしてちょっと加工したりして、騙し騙しコードを書いていたという話です。

こういう入力があったときはこういう出力をするようなコードを書きなさい、と言われ、言われた通りに実装していただけです。「こんな風に書いた方が、レスポンスが早いんじゃないか」とか「ここを変数に定義しておいた方が、他のクラスでも使い回しが聞いて効率がいいかもしれない」とかは全く考えてませんでした。

「多分、あの人がこういう風に書いてるってことは、これが一番良い書き方なんだろう」と真似していただけ。とにかくバグを出したくなかったし、はやく帰りたかったので、一番速く自分の担当分を終わらせること、を最優先にしていました。

エラーを起こさず動けば「問題はない」と考えていたんです。たしかに問題はなかった。しかし同時に、素晴らしくもありませんでした。

「考える」必要も機会も気力も、当時の私にはなかったのです。美しいコードを書こうとも思わなかったし、正直、動けば(顧客の期待値を下回らなければ)なんでも良いと思っていました。

考えるということを、長らくしないと、どうやって何から考えて良いのかわからなくなります。頭も筋肉も肉体の一部。どちらも、時々は動かさないと使い物にならなくなります。

「考える」のと「学ぶ」のは違う。

考えるというと、本を読んだり資格を取るための勉強をしたりと「学ぶ」ことを想像する人がいますが、私はそれはちょっと違うのではと思っています。

例えば、学生のころ。

数学の問題集を広げて、問題を読み、習った公式に当てはめて計算し、解を導き出す。

問題集の最期には正解が書いてある。途中式まで丁寧に書いてある。

学生は、その解答と自分のノートを見比べて「同じかどうか確かめる」作業を行う。同じなら正解、違っていたら不正解。

この作業が、果たして「考えている」と言えるのでしょうか?

英単語や歴史の年号の丸暗記は言わずもがなです。丸暗記(インプット)して、それをそのままノートに書き出し(アウトプット)ているだけ。インプットとアウトプットが同じものなら、そもそも何も起こらなかったのと同じではないかと。

インプットがあり、それを頭で考え(加工し)、アウトプットする。このINとOUTの差こそが、「考えたこと」であり、それはもっと自由なものではないかと思うのです。

「出された問題を解く」というのは「テーブルに並べられた食事を食べる」のと同じで、全然考えてないし、正直、これほど簡単なことはないと思います。

そうでなく、「考える」というのは、「何を考えるのか」とか「何が問題なのか」とかいう問題を自分で設定する作業のこと、という方が、意味合いとしては近い気がします。

問題を設定できさえすれば、後はHOWTOの部分を決めるだけです。ネットや本、人に聞くなど情報収集をして、解決までのプロセスを決めるだけなので大して頭は使わないのではないでしょうか。

問題というのは「設定」するのが一番難しいのです。逆に言えば、問題を設定した時点で、その問題はほとんど解決していると言っても良いくらいじゃないでしょうか。

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