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一日一殺ブログ

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最初にカタツムリが話しかけてきたのは、今から十年以上も前のことだ。十年という時間は、感情の記憶を摩耗させるのには充分な時間だ、と柳井は思った。

「あと五分でキミは死ぬ。最後に何をしたい?」

柳井の前には手足をガムテープで縛られ、飛び出しそうな眼球から涙を溢れさせている惨めな男が横たわっている。男が顔をこすりつけているリノリウムの床には昨日洗い流しそびれた血痕が付着している箇所があり、先人の残した長い髪や歯が転がっている。柳井は掃除が得意な方ではない。部屋だっていつも散らかっているし、足の踏み場があるくらいに片付ければそれで満足してしまう。部屋は心を映す鏡だと心理学者がテレビで言っていた気がするが、正確な出典は不明だった。

「し、死にたくない。お願いだから、殺さないで」

残念だけど、それは聞いてあげられない。カタツムリが言った。柳井は言葉を繰り返す。

「残念だけど、それは聞いてあげられない。キミの死は回避不能の現実だ。その前提で話を進めよう。お互い、時間を無駄にするのは得策じゃない。さて、もう一度聞くよ。キミは人生の最後に、何をしたい」

男は興奮しているのか、顔色が真っ青だった。もちろん、それは正常な反応だ。柳井が知る限り、あと五分で死ぬと知らされた人間が取る行動は三パターンしかない。泣き叫ぶか、怒りだすか、最後まで信じようとしないかだ。一度くらい、冷静に死を受け入れて静かに最後の時を迎える人間に出会ってみたいと、柳井は密かに期待していた。

「む、娘に会いたい」

「娘さんは、五分でここに駆けつけられる場所にいるのかな?」

男は首を振った。そうだろう。もし居たとしても、自分の娘を殺人鬼の手元に残して死にたいと思う親は少ないと思う。娘にしても良い迷惑だろう。

「じゃあ無理だね。他には? ほら、もう時間がないよ。あと三分五十秒だ」

「わからないぃぃ! もう嫌だ、殺すならさっさと殺せば良いだろう!」

「良いの?」

「いやだいやだいやだいやだ」男はみっともなく駄々をこねた。

「はっきりしないなぁ。ま、何を言われても、時間が来るまで僕は殺さないけどね」

「た、タバコだ! タバコを吸わせてくれ」

つまらないな、と柳井は思った。

「良いよ。そういう人は多いから、僕もキチンと準備しているんだ。銘柄は?」

「マルボロだ。赤マルをくれ」

柳井は一本取り出し、咥えさせてから火をつけてやった。噛み付かれないように、キチンと仰向けにして馬乗りになり、額を押さえつける。男は最初、じたばたと芋虫のように身体を捻ったが、やがて諦めて煙を深く吸い込んだ。タバコの煙には人を落ち着かせる効果がある。柳井もいじめられていた頃はよく両親に隠れて吸ったものだった。

「禁煙中だった?」

男は答える気がないようだった。少しでも多くの煙を体内に入れようと、激しく煙を呼吸している。もう肺がんの心配はしなくていいのだから、罪悪感なく、思う存分に吸えるのが嬉しいのだろう。

人は最後に、我慢していたものを求める。昨日殺した丸顔の女は、チーズケーキをワンホール食べたいと言っていた。ショートケーキしかなかったのでそれで良いかと聞くと、牛乳にアレルギーがあるけどそれで良いと彼女は言った。なぜわざわざそんなことを柳井に伝える必要があったのかは不明だったが、とにもかくにも彼女はアレルギー反応に苦しめられる前に死んだので特に問題は起こらなかった。

急速に短くなったタバコが半分の長さになった頃、カタツムリが言った。時間だ。柳井は繰り返した。

「時間だ。それでは、さようなら」

一日一殺ブログ

柳井は疲れた目を揉み解しながら、ゆったりとオフィスチェアの背もたれにもたれかかった。十万円もしただけあって、椅子はギシギシと不快な音を立てることなく、柳井の身体を母親が子供を包み込むように支えた。

ディスプレイには今しがた更新したばかりの記事が、男の死体の写真と共に表示されている。ブログのアクセスカウンターは刻一刻と数を増やし、コメントはあっという間に膨大な数にふくれあがった。あまりにも多すぎるし内容も稚拙なため、柳井はひさしくそれらに目を通していなかった。

マウスの隣に置いたスコッチのダブルを手にとり、においを嗅いでから、一口含む。ひと仕事終えた後の一杯はやはり最高にうまい。

カタツムリが言った。母親が来るぞ。

柳井は耳を澄ませた。たしかに、階段をあがってくるスリッパの音が聞こえた。柳井はディスプレイの電源を落とし、机に広げていた本を手に取った。ほどなくしてドアが開く。

「浩輔、ごはんだって言ってるでしょ。さっさと降りてきなさい」

ああ、ごめん。気が付かなかった。カタツムリが言ったことを、柳井はオウムのように繰り返した。

「ああ、ごめん。気が付かなかった。いま、パスカルの『パンセ』を読んでいるところで」

「いいから」母親はうんざりとした様子で顔を背け、柳井の言葉を遮った。「さっさとご飯食べちゃって。食器を片付けられないじゃない」

カタツムリは何も言わない。だから柳井も何も言わず、本にしおりを挟んで席を立った。

人々は、球や兎を追うので忙しい。それは王者の楽しみでさえあるのだ。

出典:旧約外典『ソロモンの知恵』五の十五

夕食は冷めたカレーと、ひからびたレタスに嫌というほどマヨネーズがかけられたサラダだった。ダイニングテーブルの向こうではテレビがやかましい笑い声を上げている。柳井はそれを見てやはり多くの視聴者がするように笑い、黄ばんで固くなった白飯をスプーンで掬って口に入れた。

白米の部分がなくなり、ルーの部分に取りかかったちょうどその時、背後で電話が鳴った。缶ビールを手にテレビを見ていた母親はちらりと顔を向けただけで立ち上がる気はなさそうだった。柳井はしぶしぶスプーンを置いて、受話器を取った。

「はい、柳井です」

「あなたのファンです」若い女の声だった。柳井は顔をしかめた。最近、この手の輩が多くていい加減、辟易していた。即座に電話を切った。

また電話が鳴る。母親が迷惑そうな顔を向けた。柳井は仕方なくワンコールでもう一度電話を取った。

「通報しますよ。いいんですか」今度も前置きなく、女の声は言った。

「どうぞ」

「嘘です。警察に告げ口したところで、事件もわたしもタバコの吸い殻みたいにもみ消されるだけだってわかっていますから。あなたがそれが可能な立場にあることは、周知の事実です。それよりも、ひと言お礼を言いたくて、お電話差し上げたのです」

「お気持ちだけで結構。金輪際、うちに電話をかけてこないでほしい」

「あなたは今日、父を殺しました」

ああ、と柳井は思った。

「お父さんは、最後にあなたに会いたいと言っていたよ」

「そうですか。ブログにはそんなこと書いてらっしゃらなかったので、知りませんでした」

「全てをブログで公開しているわけではないんだ」

「そうでしょうね。特別に教えていただけたのですね。ありがとうございます」

「いえいえ。それでは」柳井はさっさと電話を切りたかった。カタツムリは眠っている。興味がないらしい。

「待って下さい」

「まだなにか?」

「次のターゲットはお決まりで?」

「一ヵ月先まで、スケジュールは決まっている」

「明日は誰ですの?」

「それは教えられないな。明日、ブログを見ればいい」

「もし可能なら、明日はわたしを殺していただけないでしょうか」

柳井はため息を付いた。こういう電話は、それほど珍しくもない。世の中には死にたがっている人間が驚くほど多い。命は軽い。夏の終わりにセミの死骸が道路の至る所で潰れているのと同じだ。人間の死骸は見える場所に放置されていないに過ぎない。

「そういう相談は、引き受けないことにしているんだ」

「父親が死んで、翌日に娘が死ぬというパターンは、今までの『一日一殺ブログ』にはないパターンでしょう? 面白い発見があるかもしれませんよ」

「僕は一度決めた予定を崩されるのがイヤなんだ」

「あなたはターゲットの年齢や性別、職業ができるだけ偏らないように気を配っていらっしゃるみたいですけど」

「統計学上、幅広いタイプをまんべんなく試す必要があるからね」柳井は少し得意げに言った。

「過去のパターンから言って、次は二十代の女の番でしょう? わたしはその条件に当てはまります。だから、明日のターゲットをわたしにすり替えたところで、データ上は問題ありませんよね」

「問題はない」

「じゃあお願いできませんか」

柳井はカタツムリが何か言うのを待った。良いだろう。少し時間をおいてそう言われたので、柳井はしぶしぶ繰り返した。

「良かった! それじゃあ、明日はお宅に直接伺わせていただきますので」

柳井は受話器を置き、ため息を付いた。

最後の五分間

最後の五分間。そこには、長い長い、平均して百年という『一人の人生』が濃縮されている。それはチーズケーキのワンホールだったり、一升の日本酒だったり、子供の笑顔だったり、一本のタバコだったり、古びた本の一節だったり、携帯ゲーム機だったり、大声で歌うことだったり、政治家を殺すことだったりする。

「あなたは人の死という実証実験を積み重ねることで、人生というものの研究をなさっているのでしょう?」

「ああ」柳井は頷いた。「キミもあと四分五十秒で、その積み重ねデータの一つになる。さて、何がしたい?」

「答える前に、一つ質問しても?」

良いだろう。カタツムリは快く言った。彼女の冷静な態度に好感を持ったのかもしれない。

「あなた自身は、最後の五分間に何を望むのですか?」

女は後ろ手に縛られて汚れたリノリウムの床に転がされたまま、平然とした様子で言った。父親が残していった血の残渣が長い髪にこびり付くのを気にする様子もない。

「カタツムリ」柳井はカタツムリの声を待たずに返事をした。「できれば外来種ではなく国産のセトウチマイマイが望ましい。カタツムリの目をちょんちょんと触って、後触覚が伸び縮みするのを存分に楽しんでから、最後にそれを殻ごとゆっくりと、ミシミシと、潰してしまうということをやりたい」

カタツムリがそれはオレに対する皮肉か、と言ったが、もちろん柳井は口に出して繰り返したりはしなかった。

「なるほど」

女は表情を変えずに言った。

「それで、キミは?」

「あなたに死んで欲しいのだけれど、ダメかしら?」

柳井はどう返答すべきか迷った。死んだら今日のブログの更新が出来ない。十年間、継続してきたライフワークが途絶えるのには抵抗があった。カタツムリの言葉を待つ。

ビデオを取って、記録しておけばいいんじゃないか? 運が良ければ、誰かが代わりに更新してくれるかもしれない。細々としたやり方は全部、ノートに記録してあるんだろう?

「それもそうだ」柳井は言った。女は首を傾げた。柳井は慌てていった。「いや、何でもない。いいよ。僕は死ぬことにする」

「本当? よかったわ。ありがとう」

「こんなこともあろうかと、カタツムリを用意しておいてよかった」

「さすがですわ。わたしはこれで心置きなく逝くことができる」

「ちょうど五分だ。では、さようなら」

「ええ、さようなら」

柳井は女を殺してからいつもの死体処理はスキップし、自分の準備に取りかかった。ビデオカメラをセットし、録画状態を示す赤いランプが点灯していることをきちんと確認してから、自分の部屋で飼育している無数のカタツムリの中から一匹を取り出し、処理部屋に戻った。

「さて、僕の命はあと五分だ。最後に、何がしたい?」柳井はいつもどおりの手順で始めた。

「カタツムリの目をちょんちょんと触って、後触覚が伸び縮みするのを存分に楽しんでから、最後にそれを殻ごとゆっくりと、ミシミシと、潰してしまうということをやりたい」

リノリウムの床に置いたカタツムリは、殻からそろそろと出て来ていた。柳井はその動きをゆっくりと眺めた。乾いた血や髪の毛で汚れた床が不快なのか、カタツムリの歩みはいつもよりも遅々としていた。カタツムリは言った。

わずかのことがわれわれを悲しませるので、わずかのことがわれわれを慰める。

「五分だ。では、さようなら」

柳井は労るようにカタツムリを押しつぶした。

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コメント

  1. 矢戸だいはち より:

    こんばんは矢戸です。アマゾンプライムでビデオが見れたのを、知らなかった人間です。

    偉そうな総評2.5/5.0
    文章のわかりにくさが尾を引く短編でした。

    面白い点:

    1.シンボリズムとテーマ性を感じます。カタツムリの言ったセリフに「わずかのことがわれわれを悲しませるので、わずかのことがわれわれを慰める」とありました。勝手にシンボリズムを感じていました。

    2.柳井の描写と設定についてです。一日に何かを1つ殺しているのに、母親に「浩輔、ごはんだって言ってるでしょ。さっさと降りてきなさい」と言われていました。おかしいですよね。日常性に潜んだ狂気がいいスパイスになっています。

    残念な点:

    1.最初に状況ありきです。主人公がカタツムリなのか、柳井なのか混乱します。最初の一文は「カタツムリが柳井に話かけてきたのは、今から10年以上前の事だ」になるのかな、と個人的に思います。

    一人称で書くのと違い、三人称で小説を書くのは難しいですよね。個人的にホラー小説は「見えない・聞こえない・感じられない」のが怖い事があるので、一人称が向いていると感じたりしています。例えば、「10年前、私はカタツムリに話しかけられた」などです(まぁ、ホラーを目的に書いていないのなら別なのですが)。

    2.カタツムリと柳井の関係性が曖昧でした。最初のシーンで、柳井とカタツムリの関係を明確にした方が、不気味さは増すと思います。「カタツムリは私に言った」

    個人的に。

    乾風のようにラノベ風にタイトルを変換。
    「10年前にカタツムリから話しかけられて、一日一殺ブログを始めて見た」
    そのままですね。不採用。カタツムリにNTRられる事はないです。

    • shiroto より:

      おっしゃる通り。
      理解不能な気持ち悪い人の話を書こうと思ったのですが、理解不能すぎて分かりにくいですね…w

      • 矢戸だいはち より:

        狂言回しはあくまでも狂言回し。例え理解不能な主人公を描写する場合でも、一般人との比較をするなど、差別化する必要があります。今回の場合、殺害する行為自体が一般人からしたら理解不能なので、比較対象は必要ないんですけどね。